カルテ219 ライドラースの庭で(前編) その9
「な、何だ貴様!? 覆面なんかしやがって怪しい奴め!」
水を差された大男は、憤怒の息を吐きながら背後のノービアを捕らえようとするも、身軽な動きでするりとかわされてしまった。
「まあまあ、そうカッカカッカしなさんなって。確かにあの騙した禿げ頭の旦那も悪いけど、あからさまに怪しげな物を紹介されてホイホイ騙されちゃったあんたの奥さんだって悪いでしょーが」
「「な、何を言うか!?」」
期せずしてジオールとリックルの声が同調し、野太さが倍加した。
「実際にこの聖なる水を飲んで病気が改善した者は、今まで数多くいるのだぞ! 本来ならば同じ重さの金と交換でも間に合わないくらいありがたいものだ、この罰当たりめが! 病が治らなかったのは、単にこの者の妻子の信心が足りなかったに過ぎんわ!」
胡散臭い居候にまで聖水を侮辱され、ついに我慢の限界に達し、烈火の如く怒ったジオールは、勢いに任せて怒涛の如く言い放った。
「えーいうるさいぞ、糞坊主めが! うちのカミさんはライドラース神の神像を家の棚に飾って朝な夕な拝んでいるくらい熱心だったんだぞ! その純真な気持ちにまんまと付け込んだアコギな貴様を許すことなんぞ到底出来んわ!」
対するリックルも怒髪天を突き、野獣の如く猛りまくる。もはやノービアのせいで、運動棟内の喧騒は混迷を極め、周りの人々は事の成り行きをハラハラしながら遠巻きに見守っていた。が、一人当事者の黒覆面だけはどこ吹く風で、呑気に鼻歌なんぞ歌いながら、いつの間にか屈伸運動に励んでいた。
「やれやれ二人とも、大の大人が大人げないっスね。でもこのままじゃらちが明かないし、そんじゃま、一つこーしませんか?」
うーんと大きく伸びをしてからノービアは、パチンと一つ手を打って、今や白熱しすぎて周囲よりも温度が上昇している竜虎合い撃つ舌戦の場に自ら飛び込んでいった。
「「な、何だ、一体!?」」
突然の割り込みに再度ハモる両人に対し、飄々とした男は右こぶしを固めると、軽く殴る真似をした。
「オレ様とリックルの旦那でガチでバトって、負けた方が勝った方の言うことを聞くってことでどーっスかね? やっぱ男同士なら拳と拳っしょー! ちなみにもしオレ様が勝ったら、悪いけどリックルの旦那にはそのまま回れ右して帰宅していただいて、ジオールの旦那からは少々礼金をいただくつもりでっけど、どないでっか、お二人さん?」
「「……」」
ジオールとリックルは同時に押し黙り、束の間沈黙が運動棟に落ちた。やや興奮が鎮静化した二人の脳内を、損得勘定の天秤が目まぐるしく上下する。
(このうろんなノービアとかいう男、あまり信用ならんが大イノシシを追い払ったそうだし、先ほどの機敏な動きを見ても、ただ物ではない気がする……ここは思い切って賭けてみてもいいかもしれん)
(この黒覆面野郎、確かに素早さには自信ありそうだが、さっきは不意を突かれただけのこと。どう見ても腕力で村一番の俺に敵うとも思えんし、確かこの神殿内では武器や護符のたぐいはご法度ときいている。面白い、話に乗ってやっても悪くはなかろう)
複雑な脳内計算の結果、図らずも両名の思惑が一致したため、数秒後、どちらも鷹揚に、「「うむ、よかろう」」とうなずいた。
「おお、お二人ともけっこうノリいいっスねー」
ストレッチに余念のない道化者は、手を休めると、覆面から覗く黒眼を細くした。建物の外から吹き込む風が、草の匂いを色濃く運んできて、彼の衣服の裾をそよがせた。
※次の更新は四日後の1月22日です!お楽しみに!
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