カルテ218 ライドラースの庭で(前編) その8
ジオールが入り口にたどり着くよりも先に運動棟に入ってきたボサボサ頭の大男は、神官長とほぼ同年代に見えたが、身体にたるんだところは全くなく、むしろミノタウロスもかくやというほどの鋼の筋肉に鎧われていた。両の太腿は女性の胴回りを軽く凌駕し、身につけた半ズボンとチェニックは今にも引き千切られんばかりに伸びに伸びており、盛り上がった背中の僧帽筋はまるで天高くそびえ立つガウトニル山脈のようだった。男はヒゲだらけの顔面を怒りで朱に染めており、眉間には深い縦皺が谷底のように刻み込まれていた。
その後ろから数名の若い神官たちが追いかけてくる様子を巌のような身体越しに見ると、どうやら聖なる神殿の門を強行突破して、ここまで我武者羅に侵入してきたのだろう。ジオールは若手のあまりの不甲斐なさにため息をつきそうになったが、この狼藉者を食い止める力のある者が現在神殿内に存在しないことは、火を見るよりも明らかだった。
「そこの白頭巾、貴様が噂の神官長ジオールとやらだな。よくも俺の愛しい愛しい息子レキップに怪しげな治療をしてくれおったな! 覚悟しやがれ!」
山賊と見紛うほどの大男ことリックルは室内を見渡すや否や、ジオールに口を開く間も与えずに雷鳴のような罵声を浴びせかけた。
「まあまあリックルさん、ちょっと落ち着いてください」
あまりの迫力に気圧されそうになるも、ジオールはリックルが息継ぎのために一瞬黙った隙に、なるべく慈愛に満ちた声を繕って鎮火に努めた。ここで相手につられてこっちまでもが大声で返せば、後は火だるま式に燃え上がり、相手の爆発を招いてしまう。それは愚の骨頂だった。
「何が落ち着けだ、このエセ神官め! 咳で苦しむレキップにつけ込んで、世間知らずの女房に胡散臭い水をクソ高い値段でたっぷり売りつけやがったくせに! 恥を知れ!」
落ち着くどころかむしろ逆効果で炎上しまくるリックルは嵐のごとく猛り狂いながら、芋のように太い指先を運動棟の窓に突きつけた。
「ああ……」
ジオールはその指し示すものを一瞥して、ようやくこの傍若無人な男が何に対して易怒性をあらわにしているのか理解した。そこには緑色の中庭が広がり、ライドラース神殿自慢の聖なる泉が先程と同じく水晶のようなきらめきを放っていた。
「確かにあなたのご子息の様子が優れなかったが、神の奇跡でも治療は難しいと説明するも、どうしてもなんとかしてほしいと奥方が繰り返しおっしゃるため、やむなく病を治す力が秘められていると言い伝えられる聖なる泉の聖水をお譲りしたことはありました。奥方がご寄付を当神殿にされたのは、また別の話ではありますが」
ジオールは猛獣に対する調教師の心境で、言葉を選びながら今にも掴みかかってきそうなリックルに説明した。
「まだ妄言を吐くつもりかこの腹黒坊主が! そんなもの普通寄付を払うに決まっているだろうが、それもそっちの言い値で! しかもいくらあの聖水とやらを毎日毎日ゴクゴク飲んでも、ちっとも良くならなかったぞ! しかも……」
「まあまあ、そこら辺にしときーや、おっちゃん。神官長さんが困ってるし、うるさ過ぎて近所迷惑でっせ」
吠え続ける大男の背中をポンと叩いたのは、誰あろう、黒覆面の男ことノービアだった。
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