カルテ215 ライドラースの庭で(前編) その5
数日後。
やや赤味がかった禿頭を白い頭巾で覆い隠し、朝の礼拝を終えたジオールは祭壇の間を出ると、回廊を歩いて運動棟へと向かった。祭壇の間と同程度の広さを誇る室内には様々な運動器具やマットなどが備えられており、そこで神殿に滞在中のライドラース神の治療を受けた者たちが、胴衣風の白色の病衣をまとって、それぞれに考案された運動に勤しんでいた。
パムはどこかと視線を彷徨わせると、壁面に設置された長い手すりに右手を置き、左脇に松葉杖を挟んで歩行運動に励んでいる真っ最中だった。あれこそまさに、右足を負傷した時の正しい訓練法である。ジオールと同様太鼓腹の体型だが、見たところ動きは想像したよりもスムーズで、ちゃんと杖と患肢の右足を同時に前に出して進んでおり、杖歩行に慣れてきたことがうかがえた。
「あっ、ジオール神官長様、おはようございます。今日もいいお天気ですね」
ジオールに気づいたパムは一旦停止して律儀に右手を上げると、笑顔で挨拶をした。
「ライドラース様のご加護があらんことを、パムさん。朝から精が出ますな」
普段は仏頂面のジオールも彼の元気な様子を見て、自然に口元がほころんだ。やはり、運ばれてきた時今にも死にそうだった者がたった数日でここまで改善している姿を目の当たりにすると、早朝に無理矢理たたき起こされた苦痛も帳消しとまではいかないが、幾分解消される気がした。
「おかげ様で、この通りだいぶ歩けるようになりました。今日はもう5周目ですよ」
パムの屈託のない笑顔が、朱金色の光を浴びて輝いて見える。いい汗をかいているようだ。
「経過は順調そうですな。ですが油断大敵ですぞ。痛みの具合はいかがですか?」
ジオールはすね毛のまばらに生えた、パムのむき出しの右足に目をやる。落雷が直撃した大木の亀裂もかくやといった裂傷の痕跡はかけらもなく、見事に皮膚に覆われている。これこそ慈愛神ライドラースの専らとする、治癒の神秘だった。本来ならば完治までに数ヶ月はかかるような重篤な外傷であっても、千切れた粘土細工を繋ぎ合わせるようにたちどころにふさいでしまうのだ。
但し、完全に元通りかと言われるとそうでもなく、失われた血液はすぐには戻らないし、しばらくは疼痛が残り、筋力もやや衰えが見られる。また、傷を負った時の衝撃で一時的に精神的に不安定になっている者も時々おり、落ち着くまで時間がかかる場合もある。
そこで神の御技を受けた者は、その後しばらく神殿内に滞在して回復に努めるのが慣わしとなっていた。例えばパムのような下肢の怪我ならば今実践しているような歩行訓練やストレッチ運動、そして神官によるマッサージを、毎日一定時間行うのだ。
「安静にしていると全く問題ないですね。動くとまだ時々痛みますけれど、徐々に良くなっています。本当にありがとうございます!」
彼は手すりにかかっているタオルで汗を拭きながら、礼を述べた。
「それは良かった。もうじき杖なしでも歩けますよ」
「そうですか。最初ここに来た時は、まず足よりも腕の筋肉を鍛えると神官さんに聞いてびっくりしましたよ。でもよく考えてみれば、杖を使うためには手の力が必要なのは当たり前ですよね。いやあ、実際に自分で経験してみないとわからないもんですなあ」
パムは本心からそう言っている様子であり、ジオールも、さもありなんと内心同意した。歩行訓練の基礎は、一番最初は床に平行に設置された手すりにつかまって両手の力だけで歩くことであり、それが杖歩行の練習にもなるのだった。
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