カルテ216 ライドラースの庭で(前編) その6
「あと、階段を昇る時は良い方の足、つまり自分の場合は左足から進み、降りる時はその反対だと神官の方から教わりましたが、これってどちらの足に一番体重がかかっているのかを頭に思い描いてみると、非常に理にかなっていますよね。この前うっかり間違えて逆にしてしまったらたちどころに激痛が走り、文字通り骨の髄まで思い知りましたよ!」
新たな知見を得たパムは興奮を抑えきれない様子で、普段よりやや多弁気味だった。
「長い長い年月をかけて、このような効果的な治療法が確立され、洗練されていったのですよ。この神殿の設備は全てそうです」
ジオールはやや芝居掛かった仕草で重々しく右手を上げると、広大な中庭に面している窓の外を指し示した。神々や神獣などの華麗な彫刻で飾られた聖なる泉からは噴水が勢いよく噴き上げてアーチ状に弧を描き、光り輝いている。
泉を挟んで運動棟の反対側には煉瓦造りの大きな浴場が目視でき、湯気を上げる高い煙突が城の塔のようにそびえ立っている。その先には円形の劇場に繋がる回廊が続いており、湯浴みを終えた者たちが何やら会話を交わしながら歩いている様がうかがえる。
つまり、ここの運動棟でほどよく疲れた滞在者たちは、大浴場でゆっくりと汗を流し、その後劇場で様々な演劇を観賞して心を安らげる。この考え抜かれたサイクルで心身ともに改善し、ジオールのお墨付きをもらった者は、晴れて神殿を退去して、足取り軽く我が家へと帰るのだ。これがライドラース神殿の誇る鉄壁の治療システムであった。
「本当に凄いですね。長年商売でこちらに通わせて頂きましたけれど、こんなに理にかなった方法だとは知りませんでした。ご飯は美味しいし、マッサージも気持ちいいし、さすが天下に名高いドグマチールのライドラース神殿ですね」
杖を傍らに置き、室内の木製の椅子に腰掛けたパムは、持参したタオルで汗を拭いながら、手放しで賞賛した。
「そうでしょう、治療を受けられた方々は、皆そう言われます。特に……」
ジオールは満足そうにうなずくと、更に施設の素晴らしさについて演説しようとしたが、それは叶わなかった。
「ありゃーっ、そこにいるのはパムの旦那とジオールの旦那じゃないっスかー! 朝っぱらから精が出ますねー」
一陣の外気とともに茶色いローブに身を包んだ黒覆面が、スキップでもしそうな勢いで運動棟に入ってきたのだ。上下の長袖を着て、手袋まではめた姿が非常に暑苦しい。ちなみに神殿内での武器の携帯は掟によって固く禁じられているため、彼の鎌のような怪しげな武器はこちらで預かっているので、身軽そうではあるが。ジオールの穏やかだった顔はたちまち腹を下したゴブリンのごとき渋面となった。
(確かノービアとかいったか、この不審者は……)
常に素顔を見せない胡乱な男ことノービアは、あの日、報酬は払えないとジオールが冷たく突き放すも、意に介した様子も見せず、まだパムから礼金を貰ってないし、一旦帰ろうにも家まで歩いて五日はかかるし、そもそも宿に泊まる金すらないし、慈愛神の慈愛はこういう時のための言葉じゃないのか云々と、あーだこーだと理屈を並べるため面倒くさくなって、つい宿泊施設への滞在だけは許可してしまったのだ。しかしありがたがったり遠慮する様子は微塵もなく、日がな一日神殿のいたるところをチョロチョロとうろつきまわっているため、目障りなことこの上なかった。
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