カルテ213 ライドラースの庭で(前編) その3

「いえね、パムの旦那が後で礼金をくれるって言うんですけど、それだけじゃちーっと華麗なるオレ様の働きぶりに見合わないかなー、なんてね。こう見えてもオレ様って百年に一度の天才のようなんでね……」


「……わかった、考えておく。それより早くパムを神殿へ運ぶぞ。お主はそこで待っていろ」


 ここで押し問答をしている場合ではないことを悟ったジオールは、顔の見えないフード男を睨み据えるとすぐにブレオに指示を出した。東の空はようやく山火事のごとく真っ赤に燃え上がり、忙しい一日の始まりが城塞都市ドグマチールを訪れようとしていた。


 ブレオは駆けつけて来た他の使用人とともにパムを馬車から下ろし、木の棒と布で出来た担架に移し替えると、門にもたれかかるフード男をその場に残し、急ぎ足で参道を進んだ。ジオールもやや早足気味にその後を追う。小鳥のさえずりと足音のみが響くなか、目路の限り等間隔に並ぶ、カミナリ鳥の浮き彫りが施された円柱が生まれたての曙光を浴びて金色に輝いていた。


 やがて周囲を同様の列柱に囲まれた、立方体の形状をした荘厳な神殿が正面に現れた。カイロック山の奥深くで採れるという珍しい孔雀石で覆われた破風は陽光を反射して緑色に煌めき、ここが慈愛神の侵すべからざる神域であることを、目にした者の脳裏に嫌が応にも焼きつける。ちなみに神殿の左右からは長い回廊が伸び、先ほどまでジオールが寝ていた宿舎や運動施設、劇場などにつながっている。


 ジオールは担架に付き添い階段を上ると、まず前室と呼ばれる神殿に入ってすぐの場所にある簡素な小部屋にブレオを横たえ、手早く包帯代わりのボロ布を剥がし、傷の様子を確かめた。


「むう……結構深いな」


 右の大腿部の外側に、まるで鉈で叩き割ったような亀裂が縦に走り、血がジワジワと滲み出ている。深さは皮膚や皮下組織を越えて明らかに筋層まで達しており、思わず目を背けたくなるようなひどい裂傷だったが、その大きさの割には想像していたよりも出血量が少ないことにジオールは気づき、密かに安堵した。この様子だと、幸いにも大血管は損傷していなさそうだし無事助かる可能性は高そうだ。


 実はこの前室というのは患者が神の奇跡で治療可能かどうかを神官長が判断するための重要な場所であり、ジオールが許可した選ばれた者だけが次の間に入ることを許可されるのだった。もっとも明らかに助かりそうにない者は、それこそ文字通り門前払いされるのだったが。


(最近治癒率が下がっているし、ここは名誉挽回のチャンスだな。まったく、下々の者どもは白亜の建物なんぞ外道の存在をありがたがりおって……)


 ジオールは禿げ頭の中で素早く計算すると、「この者を直ちに祭壇へ運べ! 今から祈祷を行うので準備しろ!」と使用人たちに下知した。



 一辺30メートルはあろうかという広大な正方形状の祭壇の間は一面白大理石で装飾され、神聖さと清浄さに満ち溢れていた。天井は格子状の天窓になっており、はめ込まれた無数のビドロ板を通じて燦然と降り注ぐ朝日によって、室内は茜色に照り映えていた。


 一番奥には、シンボルのカミナリ鳥を肩にとまらせ、右手に水晶玉らしき物を持った、高さ10メートルはあろうかという成人男性の姿をした慈愛神ライドラースの立像が極彩色の輝きを放っており、見る者全てを圧倒している。床面は緩やかな曲面を描いて中央に向かって僅かに盛り上がっており、何やら不思議な紋様に彩られている。


 神像の前にある壮麗な造りの寝台に、使用人たちは傷ついた行商人をそっと横たえると、そのまま無言で退室した。寝台に向かって香を焚いていたジオールは、咳払いを一つすると目を閉じ、雑念を振り払って全神経を集中し、両手を合わせた。

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