カルテ212 ライドラースの庭で(前編) その2
「行くぞ!」
「はっ!」
電光石火の早さで神官衣に着替えたジオールは、取るものもとりあえずブレオとともに宿舎を飛び出すと神殿の門へとひた走った。早朝の外気は秋の冷たさを帯びており、眠気も一瞬にして吹き飛ばしてくれる。東方の空は心なしか暗さが薄れているようだがまだ朱が差しておらず、太陽の姿は確認出来ない。こんな未明の時刻では、副神官長のハーボニーも、他の神官たちもまだ自室で熟睡している頃だろう。
この城塞都市ドグマチールのライドラース神殿には、数十名の神官たちと使用人たちが生活しているが、夜間起きているのはせいぜい門番代わりの使用人程度であり、今回のように緊急に対処すべき訪問者が来た場合、唯一神と対話できる神官長が叩き起こされるのは致し方ないと言える。ジオールにとってはまったくもって腹立たしいことだが、仕来りなので致し方ない。
大気さえ眠っているかのように周囲はひっそりとして、石畳の参道を叩く彼の靴音だけが規則的に響くのみだった。やがて、俗界と聖域を隔てる境界の、翼を広げたカミナリ鳥を象ったアーチ状の門が眼前に黒々とそびえ立つ姿が目視出来た。
「ん……?」
門の前に一台の二頭立ての馬車が停まっており、その傍らに佇む一人の人影を見つけたジオールは、怪訝な顔をした。行商人のパム・ドルナーは、いつも一人で旅をし、御者も護衛も雇わなかったはずだ。
「あれは一体……誰だ?」
少々息が上がっていたが、気になったジオールはブレオに問いただした。
「自分もよくわかりませんが……なんでも、旅の途中で会った者だ、そうです……ハァッ、ハァッ」
ジオール以上に体力のなさそうなブレオは、今にもへたり込まんばかりだったが、かろうじてそう答えた。以前は酒乱だったと聞くが、まだ酒が身体から抜けきってないのだろうか、とジオールは疑いの眼差しをちらりと彼に向けた。
「遅かったっスねー。待ちくたびれたっスよ」
茶色いマントに身を包み、フードを頭からすっぽり被り、黒覆面で顔を覆ったその人物は、やけに砕けた調子で息も絶え絶えの二人に話しかけた。
「これでも急いで来たのだ! で、パム氏はどこだ!?」
ジオールは大きく冷気を吸い込むとなんとか息を整え、謎のフード男に問いかけた。男は何も答えず、顎でクイっと馬車の中を指す。無礼な態度につい怒りにとらわれそうになったジオールだったが、目的を思い出し、幌の中を覗き込んだ。
確かに入り口付近に一人の旅装の中年男が仰向けに寝転がっており、蚊の鳴くような声で「うう……」と呻いている。よく見ると右の太ももをボロ布でグルグル巻きにされているが、布も馬車の床も皆赤黒く染まっている。
「パム、大丈夫か!?」
「し……神官長様ですか? かたじけない……」
どうやら意識はある様子で、ジオールは少しばかり緊張を解くも、まだまだ油断は禁物と気を引き締めた。
「一体どうしたというのだ!? 盗賊どもにでも襲われたのか!?」
「や……野営中に小便に行こうとしたら、突然大きなイノシシに襲われ、足を怪我してしまいました……申し訳ありません……」
「そこを、大声を聞きつけたオレ様が聞きつけ、颯爽と駆けつけて見事助けたってわけっスよ。どんなもんスか、旦那?」
突如フード男が自慢げに横から口を挟んだ。
「ほ……本当なのか?」
ジオールは思わず耳を疑った。マント越しなので詳しくはわからないが、男は一見小柄で、力もそれほどなさそうに思われたのだ。どうやら腰に鎌を一丁差してはいるが、武器らしい持ち物はその程度である。特別な武術の使い手なのか、それとも強力な護符でも持っているのだろうか?
「本当本当、もちのろんっスよ。ね、パムの旦那?」
「は、はい。彼の言う通りです……神官長様、是非彼に褒美を与えてやって……」
「ほ、褒美だと!?」
吝嗇なジオールはつい聞き返してしまった。
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