カルテ207 運命神のお告げ所(後編) その23

 遂に謎は解けた。


 青い帽子を被った少女の口づけ、血を吸うコウモリ、固まって止まったテレミンの父親の出血、そして、テレミンが彼女に頼みにくいこと……導き出される答えはただ一つ。


「……」


 ルセフィは口を閉ざすと、脳内に想像力で、人間時に食べたとある食べ物を思い描いた。子供の頃、台所の皿に転がっているそれを初めて見た時、まるで金で出来た宝石か何かかと思ったものだ。それは二つに鋭利に切断され、断面はまるで馬車の車輪のように放射状に繊維が走り、瑞々しく光っていた。好奇心に駆られ、幼い彼女がかじりついたとしても、仕方がないことであった。しかしその直後、経験したことのないあまりの酸っぱさに彼女は火がついたように泣きわめくこととなる。


「あらあら、レモンをつまみ食いしちゃったのね、ルーちゃん」


 彼女と同じく鳶色の瞳をした赤毛の髪の母親は慌てて庭から如雨露を放り出して戻ってくると、彼女の頭を優しく撫で、コップに水を入れて飲ませてくれた。


「これを直接食べたらそりゃ酸っぱいわよ。今からレモネードを作ってあげるからちょっと待っててね、食いしん坊さん。えーっと、蜂蜜はどこへやったかしら……」


 母親はそれこそ蜜よりも甘く優しい声で彼女に話しかけると、エプロンを締めて戸棚をゴソゴソ探し始めた……



(お母さん……ううっ)


 もう戻れない時の彼方の懐かしい記憶と共に、彼女の小さな口腔内に大量の唾が湧いてきた。唾液は世界を滅ぼす洪水のごとく、後から後から際限なく唾液腺から流れ出し、外にあふれ出そうになる。あまりの量につい飲み込みそうになるも彼女はぐっと堪えると、無言のまま瞳を閉ざし、再びあえぐリルピピリンに唇を重ねた。


「ルセフィさん、それではさっきと同じでは……」


「いえ、違いますよ、フィズリンさん。注意してよく見ていなさい」


 心配のあまりうろたえるフィズリンに、ダオニールが諭すように話しかける。確かに傍目には吸血鬼の少女のとった行動は、数分前と変わらないように思われた。但し今回は前回と異なり、口を漏斗状にすぼめると、中の溜まりに溜まった液体を、まるで瓶から瓶へと移し替えるように、少しずつ穴兎族の口腔内に注ぎ込んでいったのだ。


「……」


 今や口を挟む無粋な者は誰もいなかった。先ほどの口づけの時以上の沈黙が一同を押し包み、手に汗握る緊張の時間が亀の歩みのごとく刻一刻とゆっくりと過ぎて行った。少しの変化も見逃すまいと皆瞬きすらせず、部屋の片隅の二段ベッド下段に全神経を集中していた。


(いいぞルセフィ。それで正しいはずだ、理論上は……)


 心臓が暴れ馬のように体内でギャロップするのに耐えながら少女を見守るテレミンは、内心の不安を押し殺すように、心中で自分自身に言い聞かせた。今まで数多の書物を紐解いて得られたきらめく宝石にも勝る知識は、彼に生物の多様性と可能性を教えてくれた。更に人生で実際に学んだ経験がそれに合わさり、大いなる発想の扉が押し開かれたのだ。


 彼の脳内図書館の本には次のような知識が書かれていた。動物は自分の好みの物を食べるため種類ごとに様々な口や歯の形をしており、例えばアリやシロアリを食べることに特化したアリクイの舌は鞭のように長くて小さな棘があり、唾液も粘着度が高く、アリを獲るのに非常に適している。これは同じくアリを好物とするアルマジロも同様と言われる。なお、口はストローのごとく細長く、歯は全くと言っていいほど見当たらない。


(ならば動物の血のみを食する特殊な生態の吸血コウモリも、なんらかの特徴が口腔内にあってもおかしくないはずだ……)

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