カルテ204 運命神のお告げ所(後編) その20

「そういえば、この前僕がフィズリンさんの実家で風邪をひいたとき、ダオニールさんは林で採ってきた薬草から薬を作ってくれましたね」


 テレミンが急に神妙な顔で今まで黙っていた老執事に話を振った。


「ええ、あれはカシアの枝などを利用する秘伝の風邪薬でしたが、よく効いたでしょう」


 ダオニールが鼻を鳴らし、いささか自慢気に答える。


「ええ、本当にすごい効果でした。このように枝や葉や根や花といった植物の一部や、膵臓などの動物の臓器などは、使い用によっては素晴らしい薬になるんだ。僕はそのことを旅の先々で実感してきた。そして僕は今回の一見意味不明なお告げに対しある仮説を立てたんだ……過去のある体験から」


「過去?」


 ルセフィが興味深い口振りで繰り返す。


「ああ、僕の亡くなった大事な人とのね……」


 そう答えながら、少年の心は懐かしき生まれ故郷・学問の都ロラメットへと飛んでいた。



「頼む……金なら家にあるんだ……お願いだからもう一杯だけ飲ませてくれよ……」


「出て行けこの文無し野郎め! 二度とその汚ねえツラ見せんな!」


「ぐぎゃっ!」


 初夏の涼しげな風に乗って家々の窓から夕餉の香りがたなびき、黄昏から宵闇へとロラメットの街全体が塗り替えられようとしていた頃、繁華街の酒場「天馬のいななき」亭の裏口から、一人の短髪の中年男が路上に叩き出された。


 チョビ髭の生えた顔も貧相な手も傷だらけで、所々出血までしている。上等そうな緑色のコートと茶色のズボンに身を包んではいるものの、既に服の至るところに綻びが生じており、金の匂いとは無縁そうに見えた。


「くっそー、あいつら、ちょっと持ち金が足りなかったくらいで、このレルバック・バルトレックス様に暴力を振るいやがって……俺だって実家に帰りゃお貴族様なんでい! てめえらクソ庶民なんざまとめて縛り首にしてやんよ! うおおおおーっ!」


 男は熟し過ぎた柿のような臭い息とともに暴言をそこら中に喚き散らした。


「父さん、こんなところにいたんですか! 捜しましたよ!」


 近所の家の犬たちが酔っ払いの怒鳴り声につられて一斉に遠吠えをしている最中、路地裏からランプを持った一人の少年が姿を現した。


「おお、愛しの我が息子テレミンじゃねーか! お前、金持ってるか?」


 酔いどれ男ことレルバックは、地獄に降り立った聖人を思わせる、あまりにも場違いな少年に嬉々として呼びかけた。


「ありませんよ! 母さんの治療費で我が家には一銭も残ってないのは知っているでしょう、父さん? それより傷だらけじゃないですか! また無銭飲食したんでしょう!? まったく、そのうち衛士に突き出されますよ!」


「なーに、天下の男爵様を逮捕できるかってんだベラボーめ、ヒック!」


「残念ですけどここザイザル共和国にはそんな貴族制度なんてないんですよ! さあ、つかまって! とっとと帰りますよ! お説教は家でみっちりしますからね!」


 腰の抜けた父親を叱咤激励しながら肩を貸すその姿は小さいながらも頼もしく、完全に父子の立場が逆転していた。


「へいへい、つくづくよくできたお子様だぜ、おめーさんはよう。まったく、俺に似なくて本当に良かったぜ」


 ブツブツと何事かを呟きながらも、ボロボロの身体に鞭打ってレルバックはなんとか息子の力を借りながら、一歩ずつ前へと進み出した。そんな彼らの目前を、店から出る残飯目当ての野良犬が蠅とともに駆けていき、さらに紺色を深める上空を小さな黒い影が犬を追うように飛び去っていった。


「うわっ、びっくりした!」


 テレミンは夜の生物たちの突然の出現に驚き、思わず愚かな父親を取り落としそうになった。

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