カルテ192 運命神のお告げ所(後編) その8

「お嬢ちゃん、粋がるのは結構だが、あんた本当にちゃんとした護符を持っているのかい?」


 ケルガーは、先ほどから目の前の娘の言葉にかすかな震えを感じていた。ともすれば渦巻く山風にかき消されそうな、ごくわずかな震えだったが、それでも長年女性を相手に夜の帝王として酒場で磨き上げた能力で、彼女の台詞に嘘を感じ取ったのだ。


「……!」


 その瞬間ルセフィの顔に動揺が走ったのを、ケルガーは見逃さなかった。おやおや、こいつはちょっくら面白いことになってきたぞ。


「も……もちろん持っているわよ! そんじょそこらじゃ手に入らないような超すごい激レアなやつを!」


 ルセフィは強風に負けじとふんぞり返り、虚勢を張った。


「ほう、そいつは是非とも拝見したいものだ。こう見えても俺も護符魔法にはちとうるさくてね、先ほど使用した眠りの護符以外にも色々とコレクションしているんだよ、お嬢ちゃん。そういえばついさっきも貴重な札を一枚使って俺に石を投げやがったどこぞの人狼さんと小僧をそこの崖下に叩き落としたところさ」


「な、なんですって!」


 冷静を装っていた少女の仮面が面白いように剥げ落ちるのを見て、ケルガーは笑いを押し殺すのに必死だった。どうやらだいぶ運が回ってきたようだ。さすが運命神の御膝元。


「よし、それじゃひとつ護符魔法勝負といかないか、吸血鬼のお嬢ちゃん。お前さんが勝ったら、この毛玉のおちびちゃんは袋ごと置いて行ってやるよ。だけど俺が勝ったら……」


 そこで一旦言葉を切ると、牛特有の洞窟のごとき大きな鼻腔に深々と息を吸い込んだ。


「……」


 ルセフィは固唾をのんで次句を待つ。二人の人外の間を緊張と殺気を孕んだ冷風が、氷の翼をはためかせて通り過ぎて行った。


「あなたが勝ったらどうしろっていうのよ!?」


 遂に沈黙に耐え切れず音を上げた少女が、彫像のように立ち尽くすミノタウロスに向かって叫んだ。


「俺と一緒にインヴェガ帝国の帝都プロペシアまで来て頂こう」


 ケルガーは吹き荒れる風に負けない胴間声で、意外な要望を彼女に告げた。


「ええっ!? なんであなたなんかについていかなきゃならないのよ!?」


「ここですべてを詳らかにするわけにもいかないが、まぁ、強いて言うならば、バンパイアなんて代物は穴兎族なんぞよりも希少種だからな。わかるかい?」


「まったくわからないわよ!」


「別に説得しようとは思ってないからわからなくて結構。さて、そろそろ準備はいいか?」


 ケルガーは、いつの間にやらコートのポケットに突っ込んでいた手を、意味ありげに動かす仕草をした。


「……っ!」


 ルセフィが、可愛い顔を強張らせ、柳眉をしかめる。実際のところ、彼女が現在持っているのは白亜の建物の医者から貰った残り物の、火の護符と光の護符しかなかった。いくら桁外れの魔力を有する魔物の王たるバンパイアといえど、身体能力では目の前の怪力無双の化け物にはかなわず、魔法無しでは分が悪かった。


(くそ、カイロック山の山荘で亡霊騎士相手に使ったお母様の作成した雷の護符クラスのものがあれば、こんな図体だけのデカブツなんか瞬殺なのに……)


 なんとかポーカーフェイスを装いつつも、彼女は必至で頭を巡らし、かつてない強敵に対し策を練った。

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