カルテ191 運命神のお告げ所(後編) その7

「ほう……これはこれは」


 丸太のごとく太い首を捻って彼が見た先には、髪を夜風になびかせ、青い帽子と青いコートを纏った少女の姿があった。真冬の朝のように青白い顔をし、鳶色の瞳で恐ろしい姿の魔獣であるケルガーを豪胆にも睨み据えている。間違いない、数時間前に参道の雑踏ですれ違った人外の娘だ。


「こんなところでまた出会うとはな。で、バンパイアのお嬢ちゃんが、俺に何の用だ?」


「うっ」


 即座にケルガーに本性を言い当てられ、ルセフィは一瞬言葉に詰まるも、すぐに気持ちを切り替えると、「あなたの担いでいる、その袋の中身を返してちょうだい、人攫いさん!」と細い人差し指を真っすぐに指した。


 どうやら荷物のことは先刻ご承知のようだな、とミノタウロスは心中舌打ちをした。せっかく人狼たちを追い払ったというのに、こいつは少々、いや、かなり面倒なことになってきた。


「お嬢ちゃんには関係のない話だろう。そんなに血が吸いたけりゃそこら辺の野鳥でも捕まえて啜ったらどうだ?結構いけると思うぞ」


 彼は無駄とは知りつつも、ささやかな言葉の抵抗を試みた。こう見えてもかつては夜の酒場で鳴らした百戦錬磨の英雄だ。実年齢は何歳だか知らないが、もし本当に見た目通りの小娘なら、意外に勝てるかもしれない。


「コウモリかなんかと一緒にしないでちょうだい! 私はあなたが持っているモフモフちゃんがいないと、心の安らぎが得られないのよ。あなたこそ、タンシチューにされたくなければ尻尾を丸めて帝国にお帰りなさい。最強の種族であるバンパイアに敵うと思っているの?」


 ルセフィは立っているのがやっとなほどの強風の中で足を踏みしめると一歩も引かずに女帝のごとく傲然と言い放った。


「俺もタンシチューを食べるのは好きなんだがな。自分でよく料理だってするし、特注の鍋も持ち歩いているぞ。しかしよくここにいるとわかったな。一体全体どんな魔法を使ったんだ? 後学のために是非とも教えてくれませんか、お嬢ちゃん?」


 ケルガーは半ば本心からルセフィに問いただした。先ほど岩石が飛び交う激しい戦闘を不用意にもしてしまったミスは認めるものの、折からの激しい山嵐の音に紛れ、遠くまでは聞こえまいと高を括っていたのだ。


「あなた知らないの? 穴兎族はとってもお耳が良いのよ」


「そうか、さっきの親ウサギを眠らせ損ねたってわけか……チッ」


 今度こそケルガーは広い額にしわを寄せ、タンシチューの原料たる大きな舌を実際に鳴らした。子ウサギの回収を優先し過ぎたあまり、親の方を殺さなかったのは失敗だった。この程度の風ではマスキングにすらならなかったということだ。


「というわけで、それをとっとと地面に下ろしてこの場を去りなさい。さもないと……」


 少女の双眸が妖しく輝き、その色を鳶色から徐々に血の朱へと変貌させていく。よく見ると彼女は右手をコートのポケットにさりげなく突っ込んでいた。ケルガーは考えを巡らせた。暑さ寒さを感じない暗黒の生物が、暖を求めて服に手を隠すはずがない。あのほっそりとした指先が握っているものは、おそらく護符に違いないだろう。


「おやおや、お目々をイチゴみたいに赤くしちゃって……」


 軽口を叩きつつも、膂力に優れる無敵のミノタウロスの額に一筋の汗が流れた。いくら腕力で優っても、相手は不死身の吸血鬼だ。ちょっとやそっとの傷ならすぐに再生するし、血を吸われたら下僕と化す。更に奴らの魔力は規格外で、全生物の頂点に君臨するという。魔法勝負ではこちらが圧倒的に不利だろう。


 しかし……。

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