カルテ190 運命神のお告げ所(後編) その6

 しかし生来楽天家で、かつ皇帝に対する忠誠度の高かったケルガーは、意外にも罪を素直に受け入れ、むしろ帝国の役に立つことに密かな喜びさえ感じており、更にはあらゆる苦痛に耐える強靭な精神力も持ち合わせていたため、エリザスと同じく辛うじて人間としての自我を失うことはなかった。よってマンティコアが檻を破って他の魔獣と化した被験者たちも混乱に乗じて雲隠れした時、ただ一頭彼だけは自主的に施設に残り、大人しく頸木に繋がれ、生き残った職員たちを驚かせた。


 冷酷さで知られる皇帝も、流石にこの行為に感銘を受け、一流の護符師を施設に派遣しケルガーを指導させ、人間の姿になる術を会得させた。幸い人並み以上の魔力を有し、護符師になる素質があったケルガーは特訓の結果術をマスターし、人肉食の欲望を抑えることに成功し、更には護符魔法の使用方にも習熟していった。こうして見事実験の数少ない成功例となった彼は、久々に帝都に連れ戻され、皇帝陛下に謁見することとなった。


「先の世には、お主のように忠誠心が厚く、中には自ら進んで魔獣の実験台になる勇者もいたと伝え聞く。もっとも精神に異常をきたす者がほとんどで、理性を残して人型と化し、国家の役に立ったのは極わずかだったそうだがな。よくやってくれた、ケルガー・ラステット」


 白い巻貝の装飾が施された大理石の柱が林立する壮麗な玉座の間で、赤い絨毯の奥に座す神聖皇帝ヴァルデケンは、苦い胆汁でも飲み下したような聞き取りにくいだみ声で御簾越しに宣った。


「いやあ、こう見えても根は真面目でして。酒で失敗するのが玉に瑕ですが」


 ケルガーは悪びれず、皇帝に向かって言い放った。


「これ、御前であるぞ!」


 柱の傍らに立つ元同僚の近衛兵が憎々しく彼を睨み付ける。そういや以前あいつの女も寝取ったことがあったっけか、とケルガーは薄っすらと思い出した。


「よい、多少の無礼は許そう。してケルガーよ、今後余のために密偵となって働いてくれると誓うならば、その罪を許し、人間としての身分を保証しよう。悪い話ではあるまい。どうだ、出来るか?」


「はあ、大抵の事なら出来ると思いますが、密偵って具体的にはどんな仕事ですか?」


「エビリファイ連合国の偵察及び、実験材料の確保だ」


「実験材料……?」


「魔獣創造のだよ」


 皇帝は外道極まる禁断の秘術についてこともなげに答えた。


「先にも述べたが、お主程の成功例は近年稀に見るとのことだ。もっと様々な人種や種族をベースとして利用し研究を繰り返さねば、兵器として実用に値する魔獣を安定して供給することは出来ないだろう。我が帝国の宿敵の憎きグルファスト王国やミカルディス公国をはじめとするエビリファイ連合諸国を滅するためにも、この国家的プロジェクトは絶対に成功させねばならない。余に力を貸してくれるか、ケルガーよ?」


 御簾の向こう側から太陽が爆散したような凄まじい迫力を感じ、豪胆なケルガーも気圧されるほどだった。


「はっ、喜んで、陛下!」とだけ答えると、彼は姿勢を改めて片膝をつき、深々と臣下の礼をとった。



「さてと、休憩もしたことだし、そろそろ行くとするかな?」


 大きな袋を肩に担ぎなおし、ケルガーは風の吹きすさぶ山道を再び歩き出そうと重い腰を上げた。が、その時、「待ちなさい、そこのけだもの!」という、烈風にも負けない凛とした女性の声が背後から響いてきたため、動きを止めた。

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