カルテ193 運命神のお告げ所(後編) その9

 ルセフィはいかに今まで仲間に頼ってきたかを、その身に思い知らされた。こんな時に限って頼みの綱のテレミンとダオニールは仲良く谷底だ。こうなったら自分一人で乗り切るしかない。可愛い額に眉を寄せ、彼女はかつてないほど真剣に悩んだ。


(落ち着いて考えるのよ、ルセフィ。この野獣に対して魔力以外で私の持つアドバンテージといえば……)


「もう十分待ったし、こちらからいくぞ! ギリアデル!」


 思索中のルセフィにしびれを切らしたケルガーは、暗青色の護符を素早く引き抜くと、声高らかに解呪を唱えた。護符と同色の鼻をつく臭いの液体が奔り出て、空中に弧を描く。明らかに尋常なものではない。


「キャッ!」


 急いで避けようとするも、考え込んでいたせいか行動がワンテンポ遅れ、コートの裾に少量だがかかってしまった。途端に液体が付着した部位から、まるで燃え盛る焚き火に水をぶっかけたようにシュウシュウと白い煙が立ち上り、辺りを異臭が覆う。


「な、何よ、これは!?」


「こいつはギリアデルという巨大なエイが尻尾の毒針から出す強い酸性の液でね、相手を溶かしてしまう恐ろしい代物さ」


「く、鈍牛のくせに一丁前に便利な護符を持っているじゃない。このコート、帽子と合っていてお気に入りだったのに」


 ルセフィは虚勢を張って牛頭の異形を睨み据える。いくら不死身の吸血鬼と言えども、ドロドロに溶かされては完全復活に時間がかかるし、中々厄介だ。


 それにしても、アンデッドには効果のない眠りの護符などを使用せず、有効なものを即座にチョイスするなど、このミノタウロスはかなり戦い慣れている。ダオニールたちを谷底に叩き落した腕前といい、相当なつわものとみなして良いだろう。


「でも、どんなに強力な護符でも当たらなければ意味がないわよ、モーモーさん」


「フッ、さっきの人狼も似たようなことをほざいていたっけな。だが、この足場の悪い山道で、そういつまでもかわし続けられると思っているのか? あいにくと同じ護符はまだまだあるのでな、お嬢ちゃん。えーっと、どこにしまったっけか?」


 ケルガーは太々しいほど泰然自若とした態度を崩さず、突風に立ち向かって鷹揚に構える。時折冴え冴えとした月光が、山道に迷わないようにとあちこちに設置されている、石を積み上げて作られた、ルセフィの背丈ほどもあるケルンに降り注ぎ、亡霊のような影を地表に落とした。


(いけない、このままだと奴の思うがままだわ。どうすれば……えっ!?)


 込み上げる焦燥感の海に溺れそうになっていたバンパイアの少女は、心が折れる寸前のまさにその時、一筋の光明を見出した。相手を与し易しと判断して油断したのか、ケルガーが、今までずっと肩にかけていた大袋をすっと地面に降ろし、両の手で各々の側にあるコートのポケットを弄り出したのだ。呆れたことに、戦闘中にもかかわらず、どうやら護符を探しているらしい。


(今だ!)


 思いがけず生じた千載一遇の隙を見逃さず、ルセフィは夜空の月と同色の黄色味を帯びた護符を取り出すと、「イフェクサー!」と唱えた。途端に、札からまばゆいばかりの光がほとばしり、暗闇に慣れたミノタウロスの網膜を焼いた。

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