カルテ183 眠れる海魔の島(前編) その7

「いらっしゃーい、ようこそようこそ。あんまり硬くならなくていいですよ。自分の家だと思って楽にしてくださいねーっ……てちょっと無理がありますかね?」


「はあ……」


 義母の強いプッシュでつい建物のドアを開けてしまったアラベルは、玄関ホールのソファに腰かけている、白衣を纏ったモジャモジャ頭の男の饒舌ぶりに圧倒され、戸惑っていた。


「こ……ここは一体どこなんでしょうか?」


「あら、ご存知なかったですか? ここは本多医院……いわゆるユーパン大陸に住む皆さんのいうところの『白亜の建物』でして、つまりは病気を治すところなんですねー」


「はあ……」


「ではさっそくですが、お名前、種族、性別、年齢とそして現在お困りのことについて教えてくださいねー」


「はあ……」


「うーん、ちょっと緊張しちゃってますねー。お見受けしたところ、人間の中年女性の方のようですが、合ってますかー? そちらさんには、エルフやらドワーフやら獣人やら吸血鬼やら神様やらなんやらかんやらいるんで、僕もあまり初見じゃ自信ないんですよー」


「そんな、神様なんかじゃないですよ、恐れ多い!」


 垂れ目男の頭に蛆でも沸いていそうなあまりの能天気ぶりに、アラベルは思わず突っ込んでしまった。


「ハハハ、そりゃそうですよね。かくいう僕も、まだ神様はお会いしたことがないんですよ。疫病神なら付き合いが長いかもしれませんけどねー。で、お名前は?」


「アラベル・ファリーダックといいます。年齢は28歳です。中年なんかじゃありません」


 彼女はちょっとふくよかな顔を更にぷくぅっと膨らませて、失礼な医者に軽く抗議した。


「おおっと、すいませんでした。いつも思っていることを勝手に喋っちゃいがちなんですよねー、ごめんなさい」


「それ全然謝っていませんよ……」


「ところでここは初めて来ましたけれど、ユーパン大陸のどのあたりなんですか?」


 本多は彼女のつぶやきに対して聞こえなかったふりを決め込むと、話を進めた。


「まぁ、別にいいですけど……ここはジャヌビア王国の最南端にあるアラバ島です。ちなみにこの村はフィジオ村っていいます」


「へーっ、中々面白い所ですねー。あの川の中から生えている木なんか、まるでマングローブみたいですねー。根っこが独特なんですよねー」


「はあ……」


 気ままにべらべらと話す医師となんとか会話を交わしながらも、アラベルは日に当たった雪が解けていくように少しづつ緊張がほぐれてきたのを自覚していた。どうやらこの本多という男には、相手を脱力させる作用があるようだった。


「で、話を元に戻しますけど、何かお困りのことがあるんですか?」


「そうですね、実は私、お目出度になって二か月ほど経つんですが、ちょっと吐き気があって辛いんです」


 いつの間にか胸に秘めた悩みを神官の前の信徒のごとく打ち明けてしまっていたが、特に彼女に後悔の念はなかった。


「おや、それはいけませんねー。いわゆるつわりってやつですね。妊娠初期に起こり、普通は妊娠4、5ヶ月頃には治まっていくものですけど、結構人によって差がありますし、中にはひどくなる方もいるので、油断はできませんね」


 心なしか医師の目の色が変わり、やや姿勢を正したように、アラベルには思われた。


(信用しても、良さそうかしら……?)


 彼女の心の中の天秤が、大きく傾いた。

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