カルテ181 眠れる海魔の島(前編) その5
遥か昔、この村にゲンボイヤという名のとても怠け者の大男がいた。彼は全く働きもしないくせに食べてばかりで、そして食べるとすぐ横になって赤ん坊よりもよく眠った。あまりにもぐうたら者のために人々が注意するも一向に聞かず、どこ吹く風といった感じで始終ダラダラ過ごしていた。そんなものぐさ者なので、秋の収穫祭の時、彼の家が祭りの主催の担当になった時も、家中嵐のような忙しさの中、彼一人何一つせず、普段通りのんべんだらりと過ごしていた。
その姿が神々の怒りに触れ、祭りの日、とうとう彼に天罰が下った。その日、家の者は山のようなお供え物を準備して台所に置いておいたが、あまりにも多忙なため、皆うっかり失念し、誰もゲンボイヤの食事を用意していなかった。
いつもの如く昼過ぎに目覚めた彼は、空腹のため大声で家人を呼ぶも、子供以外の家の者が全員祭りの神輿の支度に外に出ていたので、返ってきたのはまだ幼い弟たちの笑い声だけだった。あまりにも腹を空かせた彼は仕方なく牛のように重い身体をよいしょと起こして台所に向かい、所狭しと並べられた供物を、つい手掴みでパクパクと無遠慮に頬張ってしまった。
途端に異変が生じた。彼の巨体は全身が更に大きく膨れ上がり、皮膚がぬるぬると粘液を帯び、赤褐色に変わっていく。手足は異常なほど長くなり、更に枝分かれしていく。顔は目玉が大きく飛び出した異形と化す。彼のつまみ食いを物陰から覗き見していた幼い兄弟は悲鳴を上げた。ゲンボイヤは今や、巨大な蛸の化け物となっていたのだ。その声に驚いたのか、大蛸はゆっくりと裏口を突き破ると、そのまま海の方に去っていった。その夜、高波が島に押し寄せ、多くの村人が亡くなったという。
「……そして数百年の歳月が経った、というわけだ。彼は今も、沖の方で深い眠りについているという噂もある。だが、その姿を見た者は誰もいない。だが俺の一族は、身内から怪物を出してしまった責任もあるため、代々こうして毎日やぐらに昇り、不実なご先祖様が眠りから覚めないか沖を見張っている、というわけだ。その合間にこうして漁をしながらな」
こう男は昔話を締めくくると、深い溜息を吐いた。
「へー、中々面白い話だったわ、どうもありがとー」
いつの間にやらやぐらの上まで勝手に上がってきて、ゼローダの隣に腰を降ろしていた褐色の大根頭は、やけに熱い眼差しを男の筋骨隆々とした身体に注ぎながら、礼を述べた。
「いや、何、大したことはない。母親に聞いた我が家に伝わる昔話だが、どこまで本当かはわからん。うちがたまたまこのやぐらで漁をしていることの説明じゃないかと俺は疑っているくらいだ。一応、両親の言いつけ通り、沖の方をそれとなく注意してはいるが、いつも平和なものさ。ただ……」
邪視のせいか、背筋に薄っすらと寒いものを感じながらも、ゼローダは無骨な態度を崩さなかった。
「ただ、何?」
「……いや、母親によると、もう一つの言い伝えが密かにあるようで、そこまでは教えてくれなかった。俺もあまり興味がなかったから敢えて聞いてもいないが、正直だいぶ身体が弱ってきているので、今のうちに聞き出しておかないと、ひょっとしたら手遅れになるかもな……」
「あらあら、お母さん、そんなに悪いの?」
「ああ、今は寝たきり状態で、ずっと家にいる。だからあんたは俺のところに来るよりも、俺の家に行った方がよかったかもな」
「あーら、そんなことなんかないわよー。こんな大収穫があったんだもーん」
いよいよイーブルエルフの言動は気持ち悪さを増し、ゼローダはつい、邪悪な妖精族をやぐらから叩き落としたくなる衝動にかられたが踏みとどまった。
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