カルテ180 眠れる海魔の島(前編) その4
燃え上がる真夏の太陽が燦々と輝く海岸で、赤銅色に焼けた男が海の上に建てられた木製のやぐらに腰かけ、海面まで届く長い槍を持ったまま、じっと海中を見つめていた。
歳は三十代前半くらいだろうか、身に着けているものといえば腰に巻き付けた白い布ただ一枚のみで、厳めしい顔つきは獲物を追う狼のように真剣そのもので、短く刈り揃えられた黒い頭髪は日の光を存分に吸収して発火せんばかりに熱く、額から汗がたらたらと滴り落ちていた。男はそれでも彫像のように微動だにせず、一心不乱に銀色に波打つ海を凝視していた。
「こんにちはーん、精が出るわねーっ!」
突如下の方から野太い奇妙な声が聞こえてきたので、男は僅かだが首を動かし、視線を泳がせた。大根の葉のようなものがやぐらの土台に絡まっているようだ、というのが最初の印象だった。海草か何かが引っかかっているのだろうか、とぼんやり考えていると、突如その大根がずぼっと自ら海中から引っこ抜かれた。否、それは大根などではなく、緑色のモヒカン頭をした黒い肌のエルフであり、眉毛のない顔面には蔦を図象化した刺青がうねっていた。
「……イーブルエルフか?」
男は一瞬眉を顰めたが、それ以上は感情をあらわにすることはなく、また元の孤高の狼の表情に戻った。
「そうよー、嫌われ者で有名だけど、別に悪いことなんかしてないわよーん! それよりちょっとばかし聞きたいことがあって来たのー!」
男と同じく……というか、布切れすら纏わぬすっぽんぽんの黒エルフは、まるで女性のような喋り方で、上に向かって声を張り上げた。
「下に何か履け。全裸は悪いことだと思うぞ」
「あらー、突っ込みありがとーう! あまりにも開放的な海なんで、ちょっと身も心も開放的になっちゃったのよー!」
「何の用だ? 俺は獲物を捕るので忙しいので手短に頼む。イーブルエルフに悪さをされたことはないから話ぐらい聞くが、ずっと邪魔をされて魚が逃げるのは叶わんのでな」
男は、不愛想だが几帳面な調子で淡々と喋った。多分、根は真面目なのだろう。
「わかったわー。あなたって結構いい人ねー。今夜村の酒場であたいと一杯付き合わなーい?」
「それが要件ならお断りだ。現在身重の妻が病気の母親と家で待っているのでな」
鋼の如き身体の男は、まさに鉄壁の城塞の如く腐れ大根頭のラブコールを跳ね除けた。
「冗談だってば、冗談よーん。ついいつもの癖が出ちゃっただけよー」
「……やはりイーブルエルフ族というのは噂通り邪悪なのか?」
「だーかーら、違うってばー! 本当に聞きたいことはあれよ、ほら、この島に伝わるあ・れ・よー!」
「ひょっとして……」
槍の穂先を思わずイーブルエルフに向けそうになっていた男は、思わず顔をしかめた。
「そう、ゲンボイヤよ! ゲンボイヤについて教えてほしいのよー。ここでいつも見張っているあなたが一番詳しいって噂を、何とか村の人から聞いて、ここまでわざわざ来たのよー」
「……」
男は再び物言わぬ石像に戻ったかに思われた……だが、真面目な表情でこちらを見上げているイーブルエルフに視線をやると、フーッと息を吸い込んだ後、おもむろに声を発した。
「大して面白い話でもないし、そんなに深く知っているわけでもないが、それでも構わないか?」
「十分よ! 一向に構わないから教えてちょーだい!」
「……何か訳ありのようだな」
「あーら、何のことかしらー?」
「いいだろう、教えてやるよ。困った時はお互い様だしな、イーブルエルフさんよ」
「ありがとーん! ちなみにあたいはイレッサっていうのよ。ところであなた、お名前は?」
「ゼローダ・ファリーダックだ。よろしくな」
男は初めて薄い笑みを浮かべると、やぐらに深く腰をかけ直した。
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