カルテ179 眠れる海魔の島(前編) その3
あの日、本多は非常についていて、また、非常についていなかった。
ちょうど休日だったため、日中から久々に麻雀仲間を招集し、医院の二階の院長室で卓を囲んでいた。本多は北家だったのであまりやる気はなかったが、東一局で国士無双を、東二局で大三元を、東三局で四暗刻を、そしてようやく親が回って来た東四局ではなんと九蓮宝燈を上がり、自分以外の三人を全員箱下に沈めた。
「おい、どーなってんだよこりゃ!? 麻雀ゲームだってこんなにぶっ続けで役満は出ねーぞ!」
東家の前田が点棒を本多目がけて投げつけつつ、角刈り頭の短い毛を全て逆立てながら、怒鳴り声を上げた。彼はX市で代々続く前田病院の院長であり、本多とは大学時代からの付き合いだが、彼に麻雀を始め色々と悪い遊びを覚え込まされたため(かどうかはわからないが)見事国試浪人してしまった苦い過去があり、それ以来国士無双は見るのも嫌だと公言している。
「本当ですよ。そんなに命削って打ってどうするんですか? バツイチ独身のくせに」
南家のロン毛頭の横山が銀縁眼鏡のフレームを左手の人差し指で押さえながら、さりげなく毒を吐く。彼はX市で横山動物病院を開業しており、本多とは高校時代の同級生だった。
「……」
西家の七三頭の奥村が、無言で目の前の牌をぐちゃぐちゃにかき混ぜている。傍らには彼の大好物のクッキーが入った青い缶が無造作に置かれていて、今にも倒れそうだ。彼はX市で奥村探偵事務所を構えている探偵であり、本多とは幼稚園時代からの腐れ縁であった。
本多以外とはなんら接点のない三人であったが、無類の麻雀好きという共通点があり、学生時代の時間が無限にある時に本多を通じて知り合い、いつの間にか誰かの下宿に集まったり雀荘に繰り出したりして、熱い戦いを繰り広げる仲となった。社会人となった後もこの関係は細々と続いており、ごく稀にではあるが時間の合間を見つけては、こうやって旧交を温めることがあった。
「というわけで連荘行きますかー」
「待て」
一本場を表す点棒を卓に置こうとした本多の右手を、前田がむんずと掴んだ。
「な、なんですかー? イカサマは何もしていないってー」
「そういう問題じゃない。もう今日はお前以外全員ハコになったし、区切りもいいし、ここいらでお開きとしよう、皆、どうだ?」
「さんせー」
横山が挙手すると、奥村も無言でそれに倣う。乗りに乗っていた本多はいささか面食らった。
「ええーっ、皆負けを取り戻したくないんですかー? これからがいいところなのにー」
「嫌だ。こんなバカづきの奴と打っていたら、金がいくらあっても足りん。俺は引き際を知る男なのさ」
「右に同じですね。自分も勝負事には熱くならないように気を付けていますので」
「……」
前田と横山の発言の後、奥村もこくりと頷く。どうやら多数決の原則で、本多の意見は却下されたようだった。
「そ、そんな、ひどーい! 横暴だーっ! ファシズムだーっ!」
「いいや、単なる民主主義だ。後、横暴ついでに言っておくと、俺は最近小遣いが少ないので、負け代を現金で払ってやることが出来ん。というわけで、悪いが物で立て替えるので、ありがたく受け取ってくれ。とってもいい物なんで、きっと気に入ると思うぞ、本多先生」
「あ、それいいですね。自分もそうしようっと。いいよね?」
「……フフッ」
「お、お前らひどすぎるわ! 金は命より重いっ……! ぶち殺すぞ……ゴミめら……!」
「医師国家試験の時、こっそりカンニングしてた奴って誰だったっけー?厚労省が知ったらさぞや喜ぶだろーなー。さーて、帰ろ帰ろ。またなー」
「バイバーイ」
「……アデュー」
「ウガアアアアアアアアアーッ!」
本多は卓をちゃぶ台返しすると、去り行く三人の友達の背中に向かって絶叫した。
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