カルテ167 新月の夜の邂逅(後編) その11

「ああ、星が綺麗だなあ……」


 見張り台の上に両膝を抱えて座り込んだシグマートは、黒檀の盆に銀砂をぶちまけたような満天の星空を眺めながら、ぼんやりと独り言を呟いた。深夜だというのに眠気は全く押し寄せて来ず、むしろまだ身体の中で先ほどまでの何とも奇妙な戦闘の余韻が熾火のようにくすぶっていた。ちなみに彼の背中側には有翼の赤毛の獅子が丸くなって眠りこけており、ちょうどいいクッション代わりとなっていた。その背中に生えていた女性の姿は今は影も形もなく、今夜のことが悪い夢だったのではないかと思えるほどだった。


 だが、確かに彼の懐からはお守り代わりに常に持ち歩いていた貴重な護符が失われていた。護符は、あの赤毛の女性がグラマリール学院長たちが三つ目の巨鳥と共に夜空の果てに飛び去った後、マンティコアの体内に吸い込まれるように消え失せた時、一緒に持っていかれてしまったのだ。


「まあ、どうせ僕には使いこなせないほどの魔力が必要だったけれど、持ち逃げはひどいですよ、フシジンレオさん……って言っても、どうせあなたからただで貰った物でしたけれどね、元はといえば」


 こう背後のクッションに愚痴をぶちまけるも、返って来るのは唸り声にも似た規則的な寝息だけだった。あの女性は結局誰だったのだろう? どうやら学院長と面識がありそうだったし、膨大な魔力を有していそうなことから想像するに、なんとなく正体は予想できた。マンティコアの体内に別の人間が存在するとは一見信じ難いが、彼女ほどの能力者なら、そんな破天荒な離れ業も可能なのかもしれない。ただ、それを口にするのはちょっと怖かった。彼女は、護符師の道に外れたルーン・シーカーとして生きている自分にとってはあまりにも眩しい存在で、彼には学院長以上に恐ろしかったのである。


(結構厳しそうな人だったし、あまりお近づきにはなりたくないなあ……)


 命を助けてもらったにも関わらず、少年は自分勝手なことを思い、また嘆息した。しかし、あの女性以上に謎なのが、銀仮面のグラマリール学院長だ。彼に関しても様々な疑問が生じた戦いだった。


 ワシュライト山内部のハイ・イーブルエルフの隠れ家を襲ったのは、恐らく皮膚の略奪及び、ベルソ村での戦闘の意趣返しが目的なのだろうが、それにしてもなぜこの場所がピンポイントでわかったのだろうか? イレッサが言うには、ここは関係者以外には極秘の場所で、おいそれとは余所者には発見できず、近づくことすらままならないとのことだが……


 また、学院長が使っていた、あのドブ川のような色をした汚い護符も、わけがわからない代物だった。シグマートは今夜の戦闘中、護符師としての好奇心から学院長の一挙一投足に注目していたが、彼はどう見てもあの護符一枚を複数の異なる魔法に使用していた。一つの護符に二つ以上の魔法を封呪することは原則的に出来ない。何かシグマートのまだ知らない特殊な方法があるのだろうか? 疑問は尽きることなく、眼下の暗い海のように、どこまでも広がっていくばかりだった。


「おーい、シグマート! そこ寒くないか?」


「シグちゃーん、元気ー?」


 その仮初めの海原から、仲間たちの声が夜風に乗って響いてくる。戦闘の後、イレッサとミラドールは他のイーブルエルフたちの避難を手助けし、近くの高台に移送していたのだ。


「大丈夫ですよー!」


 シグマートは無理に笑顔を作って手を振りながら、とりあえずはマンティコアが起きてからいろいろ問い詰めようと算段し、クッションにどかっと座り直した。


※次回の更新は4日後の9月28日の予定です!お楽しみに!

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