カルテ166 新月の夜の邂逅(後編) その10
『雄々しく聳ゆるガウトニル
残雪溶けて流れ行き
我らが大地グルファスト
潤し生命の元となる
誉れ高きは赤竜に
跨る無敵の騎士団ぞ
嗚呼グルファスト
嗚呼グルファスト
我らが祖国永久に』
遥か彼方から秋風に乗って聞こえてきたその歌は、イレッサの声よりもさらに低いバスの重唱で、誠に迫力溢れるものだった。
「ああっ、何、この雄々しく猛々しく荒々しく、全身を初心な乙女みたいにもみくちゃにされちゃいそうな歌は!?」
「わ、私にも聞こえるが……非常に男臭くて不快だとしか言えんぞ!」
「そういや、言われてみれば何となく聞こえるような……イーブルエルフ族は人間より聴力も優れているんですね」
今や敵も味方も一旦矛を収め、どこからともなく響いてくる野太い合唱曲に聞き入っていた。
「ふむ、どうやらこれは、我が符学院がある学問の都ロラメットから発しているようだな」
「そ、そこまでわかるとは、さすが学院長様! しかし、どういうことでしょうか?」
「わからん。しかしこれは爆音の護符と呼ばれる、グルファスト王国の王族にのみ伝わる護符の効力なのは確かだ。自分の危機を遠方にまで知らせるものだそうだが、さてはあの留学生の小僧、なんぞやらかしおったな。やれやれ……」
グラマリールは肩をすくめると、今一度眼下の荒海を一瞥し、くるりと背を向けた。
「一旦引くぞ、クラリス。急用ができた。やむを得ん」
「し、しかしお言葉ですが学院長様、あと一息だというのに……」
「山国の第三王子とはいえ、預かっているからには、さすがに丁重に扱わねばいらぬ国際問題を巻き起こしかねん。一国の長としては、それは避けたいことだ。ハイ・イーブルエルフの掃討も確かに大事だが、機会があればまたいつでも出来る。優先順位を見誤るな」
「は、はい! 肝に銘じます!」
クラリスは潔く引き下がると、一礼し、一枚の青緑色の札を取り出すと、こう叫んだ。
「アルケラン!」
詠唱と同時に、襟巻のような白い毛が長い首の周りに生えた、翼間長が十メートル以上はあろうかと思われる、護符と同色の羽毛で覆われた、三つの眼を持つ巨大なコンドルが見張り台の上に出現した。
「な、なんだあれは!」
「あれは古代にドラゴン族と共に栄えたと言われる伝説の怪鳥・アルケランね。夜目が利く珍しい鳥だそうよ。今でもどこかにごくわずかが生息しているという噂を聞いたけど、本当だったのね……」
イレッサもこれには驚き、目を皿のようにして巨大鳥を見つめている。
「では下賤の者ども、さらばだ。また会うこともあるかも知れぬが、その時は容赦せんぞ」
捨て台詞とも聞こえる言葉と共に、グラマリールは怪鳥の右足に掴まり、秘書は左足の方に掴まる。
「ま、待て!」
シグマートの制止も聞かず、偽りの海上に生じた一瞬の上昇気流を捕らえた鳥は、まさに怪鳥音を発すると、ふわりと新月の夜空に飛び立った。
「やれやれ、せっかく魔法で狙い撃つチャンスだけど、あたいの魔力はもう打ち止めの赤玉状態だから、何も出来ないのよー、ったくもー」
イレッサが悔しそうに歯噛みする。
「くそ、逃げる気か! 戻ってこい、卑怯者! それでもザイザルの最高権力者か!」
ミラドールの浴びせかける罵声は、もはや闇に吸い込まれるように姿の消えかけている敵に届いたとも思えず、空しく虚空に木霊するのみだった。
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