カルテ157 新月の夜の邂逅(後編) その1
「うおおおおおおおおおおおっ!」という夢の中の自分の叫び声で、シグマートはぱっちりと目を開けた。
そこは、さっき彼が倒れた時と、なんら変わっていなかった。石造りの建物を出たすぐ前の場所に、彼は仰向けに横たわっていたのだ。少年は、よろめきながらも冷たい地面に手をついて、なんとか立ち上がることができた。
「ううっ」
途端に現実の記憶が洪水のように脳裏に押し寄せ、甘美な夢の記憶を無慈悲に流し去っていった。周囲は相変わらずねっとりとした靄で覆われ、白い夜が揺蕩っていた。
「そういえば皆は……」
足元を見ると、建物から一緒に飛び出してきた二人と一匹は、全員すやすや眠りの中に落ちていた。いや、恐らくはシグマートと同じく楽しく心地よい幻覚を見ながら、偽りの楽園に引きこもっているのだろう。これは中々厄介だ。
例えばだらしなく両足を放り出しているイレッサは、「あーら、かわいこちゃんといい男ばっかりね~。んもー、目移りしちゃうじゃないのー」、その隣でうつ伏せに倒れているミラドールは、「うーん、もうこれ以上飲めない……」、そしてシグマートのすぐ真下で猫のように丸くなっているフシジンレオは、「うーん、もうこれ以上揉めない……」だった。
「間違い探しかよ、エロ爺!」と少年は思わず眠れる獅子に突っ込みながらも、つい先ほどまで連合軍の総大将となって浮かれていた自分をわずかに思い出し、自己嫌悪に陥りかけたが、それどころではないと思いなおし、「皆さーん、起きて下さーい。このままじゃ風邪ひくし、現実世界で死んじゃいますよー」と一切遠慮せず、三人ともにビビビビビとビンタをくわえていった。
「あーん、あたい、SMは趣味じゃないのよー……でもちょっといいかも……あなた、好きよー」
「うーん、これはかなり刺激の強い酒だな……口の中が引っ叩かれたみたいにヒリヒリするぞ」
「おおーっ、これが噂のおっぱいビンタってやつか……もっとじゃ、もっとーっ!」
「駄目だ、妄想に勝てねえ!」
むしろ平手打ちをくわえるたびに彼らの幻覚の深度が増していくように思われ、シグマートの右手も真っ赤に腫れあがり、限界を感じたので、諦めざるを得なかった。
「しっかしどうしたら起きるんだ!? これは間違いなく符学院のやつらの仕業だろうし、いつ敵が襲ってくるかもしれないのに……」
悩める少年は、普段の癖で懐の中をまさぐっていると、とあるものに左手がぶつかった。
「仕方がない、これを使うしかないか……」
渋々シグマートは懐から青色の護符を取り出した。同種類の護符はもはやこれ一枚しかない。今日は封呪や解呪をそれぞれ何回も既に行っているので、恐らく後一回護符を使えば彼の魔力は打ち止めだろう。死にはしまいが、一度熟睡しなければ、魔力は回復しない。使うべきかどうか、彼は一瞬逡巡した。しかし迷っている時間はあまりなかった。
「えーい、背に腹は代えられない! リバオール! 起きろおおおおおおおおおっ!」
天に掲げた瑠璃色の護符から、間欠泉の如き高熱の湯が迸り、甘い夢に微睡む三人に盛大に降り注ぐ。
「「「あちちちちちちちちちちっ!」」」
熱湯風呂もかくやという攻撃に、全員即座に飛び起き、まるで蚤にでも噛まれたかのように身体中を掻きむしった。
「ふう……やっと成功したか……」
気力のつきかけた救い主は、舞踏病よろしく踊り狂う仲間たちを見て、安どのため息をついた。
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