カルテ156 運命神のお告げ所(前編) その9
「ぐはあっ、は、鼻がーっ!」
子ウサギに突き飛ばされたせいで、持っていたコップの中身をもろに鼻先にかけられたダオニールが、顔面を両手で覆い、床に転がり悶絶する。
「いかん、待て、ダイドロネル、危ないぞ!」
「ぐべっ!」
そんなダオニールを、慌てたアカルボースが蹴とばしながら夜道に飛び出していく。
「私たちも行きましょう! 何かあってからでは遅いわ!」
「ええ、ルセフィさん!」
ルセフィとフィズリンも、負けじとばかりにその後を追って、屋外に姿を消した。
「やれやれ、大丈夫ですか、ダオニールさん?」
残されたテレミンは、芋虫の如く足元に這いつくばっている哀れな老執事に、タオルを渡してやった。
「ふぅー、ありがとうございます、テレミンさん。おかげで助かりましたよ。つい人狼化しそうになって……おっと」
顔をゴシゴシ吹きながら礼を述べていたダオニールが、余計なことを言いかけて口をつむぐ。
「僕たちも、今からでもついていった方がいいんですかね?」
「うーん、でもここには、母ウサギさんもおられるし……」
「私のことはどうでもいいですから、出来れば息子についていってやってください。最近一人で何処へでも行きたがって、本当に危なっかしいんです。今日初めて会った方に、こんなこと言って申し訳ないんですが……」
臥床したままのリルピピリンが、すまなさそうに二人に頼む。
「いえいえお気になさらず。ですが、もうしばらくお時間をください。なあに、すぐ息子さんに追いつきますよ」
「ええっ、でもそんな悠長なことをしていたら、どこにダイドロネルくんがいるか、わからなくなっちゃうじゃないですか、ダオニールさん!」
タオルから顔を上げ、余裕綽々な様子の老執事に対し、テレミンが心配そうに突っ込む。
「お忘れですかテレミンさん、私のこれを?」
急にドヤ顔になったダオニールが、自分の鼻を指差してみせる。
「ああ、そうか! さすがじんろ……おっと」
テレミンも慌てて自分のおしゃべりな口を塞いでモゴモゴする。
「そういうことです。しかし自分の自慢のこれも、先ほどのエールスプラッシュのせいで、今は全くの役立たずなんですよ。完全回復するにはもうしばらくかかりますね」
ダオニールは、自慢気な顔は何処へやら、急に情け無い表情に変わると、眉をハの字にした。
「さてと、獲物は罠にかかったかな……?」
星の降ってきそうな夜空に向かって大声を張り上げたばかりのインヴェガ帝国人の大男は、青い瞳を半眼にすると、トイレ前の広場から参道に続く道を注意深く眺めた。先ほど、「おーい、今日はお告げ所で炊き出しがあるぞーっ!欲しいやつは急げーっ!」と叫んだのは、他ならぬ彼であったが、もちろん炊き出しなど嘘っぱちであった。だが、もはや手段は選んでいられない。
あの穴兎族の獣人は、既にお告げを受けてしまった。すると、早晩下山する可能性が高い。その前になんとしてでも任務を遂行せねば……。もし失敗した時のことを考えると、熊の如く屈強な彼も身のすくむ思いがした。
苛烈極まる皇帝ヴァルデケンの逆鱗に触れた者がどんな悲惨な運命を辿ったかは、帝国人民ならば幼児でも知っている。つまり決して失敗は許されない。彼は大きく深呼吸し、深山の混じり気のない冷気を肺に吸い込むと、気合いを入れなおした。
「おっ!?」
その時彼は、前方の闇の奥から白い小さな毛玉がこちらに向かって一目散にすっ飛んでくるのを目にして、思わず声を漏らした。間違いない、あの穴兎族の子供だ。まるで本物の野ウサギのように、四本足を駆使してこちらに駆けてくる様につい吹き出しそうになるも、まずは任務優先と気を引き締め、彼はコートのポケットから、一枚のピンク色の護符を手に取った。
「待て、ダイドロネル! そっちはトイレだぞ!」と叫ぶ声が白毛玉の後方から響いてくるも、男はなんの躊躇もせず、「ドラール!」と札に書かれた解呪を高らかに読み上げた。
次回の更新は4日後の9月4日の予定です!お楽しみに!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます