カルテ155 運命神のお告げ所(前編) その8

「なるほど、それは困りましたね。降りるに降りられないということか……」


 うなずきながらテレミンは、お告げ所に至るまでの険しい山道を思い浮かべた。足がすくむような断崖絶壁の縁を通る箇所もあれば、気を抜けばクレパスに落ちてしまいそうな雪渓をひたすら進む箇所もあり、確かに病人には難儀な旅路だろう。実は少年自身も何度か足を滑らせかけて、ダオニールに手助けしてもらったくらいの過酷な道程だった。


「それに、あの意味不明なお告げにも手を焼いているわけよ。


『ヨメノチチキトクデナヒガ、スグカヘレ』は百歩譲ってまだいいとしても、『ヨメニイノチノキキオトズレシトキ、アオキボウシヲマトイシヲトメノクチヅケヲウケヨ、サレバスクワレン』っていったいどういうことだよ!?」


 穴兎族特有の白い毛を掻き毟り、アカルボースは肉食獣のように吠えた。


「『アオキボウシヲマトイシヲトメ』の話の時に、確かあの解読屋のお婆さん、私を指差しましたよね?」


 ルセフィが会話に割って入り、自分自身を指差す。


「ああ、確かにそうだったな。でもありゃあ、どう考えても偶然だろう。たまたまあそこに青い帽子を身に着けたあんたが通りかかったから、つい関連付けただけじゃないのか?」


「あのお婆さん、耳もだいぶ遠かったし、ちょっとボケていそうでしたからね……」


「そんな……結構凄腕の解読屋として知られていたのに……」


 ダオニールが、目を閉じたままうんうんとうなずく傍らで、フィズリンが、一人しょげかえっていた。


「ところで、どうしてアカルボースさんは遠路はるばるこの地までやって来たんですか?」


「実はおいらたちは、吟遊詩人の恋歌も裸足で逃げ出す大恋愛の末に、親の許しも得ずに結婚して故郷を逃げ出したんだけれど、こうして子供も無事に生まれて奥様がどうしても両親に孫の顔を見せてやりたいって言うもんで、そんなら遠いけれどちょっくら噂のお告げ所まで足を運んで、奥様の親御さんの怒りが治まっているかどうか教えてもらおうと思ったのさ」


 テレミンの質問に、アカルボースは待ってましたとばかりに得意げに語った。


「ウサギさんご夫婦って、凄いラブラブだったのね。ちょっとあこがれるわ……」


「本当、ロマンチックですねー」


 女性陣はコイバナに瞳をキラキラと輝かせるが、男性陣は至って冷静で、


「穴兎族ってウサギと同じで性欲が異常に強いんでしょうかねえ、ダオニールさん?」


「さあ、よく知りませんが、人狼族はそんなできちゃった結婚みたいなただれたことはしなかったそうですがね」


 と、コソコソささやきあっていた。


「おーい、今日はお告げ所で炊き出しがあるぞーっ!欲しいやつは急げーっ!」


 突如屋外で雷鳴の如き胴間声が響き渡り、ファロム山全体が揺れ動くかと思われた。


「な、何事なの?」


 思わずルセフィが子ウサギを弄んでいた手を離し、不安げに窓の外に目を移す。暗い山肌を縫うようにランプや松明の灯りが、槍の如き山頂に向けて動いていく様が遠目にもはっきりと見えた。


「ああ、たまにお告げ所では、信者の方たちが中心になって、お告げを待っている人たちに炊き出しが振舞われるんですよ。スープがほとんどですけどね。結構美味しいですよ」


 フィズリンが、ルセフィの肩にポンと片手を乗せて落ち着かせる。


「へえ、意外とサービス良いのね。まあ、私は別にいらないけど……」


「モキューっ!」


「あっ、こら、ダイドロネル、待ちなさい!」


 女性陣が拘束を解いた隙に、自由を得た子ウサギは、文字通り脱兎のごとく室内を駆け出すと、テーブルを蹴飛ばし、母親が止める声にも関わらず、ドアを開けて漆黒の屋外に躍り出た。

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