カルテ150 運命神のお告げ所(前編) その3

「えっ、私?」


 咄嗟のことに、ルセフィはたじろいで、思わず帽子を取り落としそうになった。周囲に生じたざわめきがさざ波のように広がっていく。おそらく老婆に何らかの力があることを確信している人々がいるのだろう。


「ど、どういうことでしょう?」


「……」


 ダオニールの問い掛けを無視して、動揺したルセフィは、帽子を目深く被ると、解読屋の店先を逃げるようにスタスタと早足で通り過ぎて行った。


「ま、待ってよルセフィ!」


 テレミンたちも、慌てて足場の悪い坂道を転びそうになりながらも、彼女の後を追いかけた。



「生ある者は皆、運命の前には平等であり、無力な子羊である。だが、だからといって諦念に流され、堕落の谷底へと落ちて行ってはいけない。日々切磋琢磨し、己を超克した者こそ、真に運命神は恩寵を賜れ、その時こそその者は運命の鎖から解き放たれるであろう-運命神聖典 第一章第一節より」


 草木一本生えていない殺風景な山頂に覆い被さるように建っている白い巨大なドームの扉の上には、聖典の有名な一節が刻まれた大理石の石板が鎮座していた。自ら淡い光を放つ材質不明のドームの壁には無数の丸窓があり、どの訪問者にとっても未知の建築様式だった。ここまで来ると先程の喧騒は嘘のように止み、辺りを包む清浄な空気は、ここが神聖にして何人も侵すべからざる運命神の聖域であることを、嫌が応にも思い知らせた。


 普段はお喋りが絶えないルセフィ一同は珍しく押し黙り、扉が開くのを今か今かと待ち構えていた。フィズリンが、建物に唯一存在する大きな扉をノックしてから、既に10分間が経過しようとしていた。夜間の風は徐々に冷たさを増し、むき出しになっている顔や手を刃物のように切りつけてくる。皆の吐く息は真冬のように白く、足元から寒さが這い上がってくる。叢雲のように全天を埋め尽くす星々を圧して煌々と地上を照らすほっそりとした月の光が、この地では普段よりも威厳と恐れを強く感じさせた。


(ううっ、我慢できない……そこら辺でしちゃおうかな?)


 テレミンが尿意を強く覚えていた時、ようやく観音開きの扉が音もなく動き、非常に珍しい青色の長髪をなびかせ、新雪のような純白の衣をまとった女性が現れた。歳の頃はルセフィと大差なさそうだったが、彼女の双眸は金色に輝き、薄衣の下にふくよかな胸を隠し、その美しさは美の女神アイリーアに匹敵するかと思われた。


「遅くなって誠に申し訳ありません、少々用がありましたもので。初めまして来訪者の皆さん、当ファロム山のお告げ所を任されている、カルフィーナ神に仕える巫女のソフィア・アルピニーと申します。以後お見知り置きを」


 現実離れした風貌の女性は、一同に恭しく一礼し、礼儀正しく、ただし毅然とした態度で挨拶した。彼女の登場によって、ただでさえ冷え切った空気が、更に引き締まった気がするほどだった。


「こちらこそ、夜分遅く失礼いたしました。私はルセフィ・エバミールと申します。一行を代表して挨拶させて頂きます。カルフィーナ様のお告げを賜りたく、参上しました」


 ルセフィが一歩前に出て自己紹介すると、神秘に包まれた巫女はネコ科の動物にも似たその金眼を一瞬大きく見開いたが、また何事もなかったかのように元に戻った。


「私は故あって生き別れの母親を探す旅をしているのですが、今までのところ何の手がかりも掴めず行き詰まっております。どうか偉大なるカルフィーナ様のお力でもって、進むべき道を指し示していただけませんか?」


 フィズリンに教えられた紋切り型の口上を朗々と述べるルセフィは、実年齢よりもずっと大人びて見えた。

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