カルテ133 猫娘とバイオリン弾き その7

「ダイフェン! しっかりするニャ! フレーッ、フレーッ!」


 猫娘の応援にもかかわらず、陸に上がった魚のようなダイフェンの身悶えは止まらない。


「うーん、困ったわねー。私のときは、マスイ薬っていうのを喉にかけてもらったから、それほど痛くなかったんだけれど、そんなものここにはないしね……」


 俄か医師のダメデューサは、弱り果ててフーッと溜息を吐いた。いきあたりばったりで体内の出血治療をしようなんてのは、無理な話だったのか、なんて弱気な考えが脳裏にちらつく。


「そうだニャ、ダイフェン。心を楽にして、うちの歌声を聞くニャ!」


 ランダは双眸を閉じたまま、両手を胸に当て、息を一つ吸うと、まるで母親がむずかる子猫を優しくあやすような猫なで声で、歌い始めた。


「ニャゴニャゴニャーゴ おわあおわあ


 猫の母さん子沢山 


 三毛猫寅嶋ブチ猫の 


 中で一番お気に入り


 雪より白い白雪の 


 瞳は燃える薔薇の色


 ねんねんねん猫 ゴロニャーゴ」


「ほう……」


 無骨なバレリンが思わず感嘆の声を上げるほど、その歌声は狭い室内に玲瓏と響き、心に染み入るように優しかった。


「ググッ……」


 いつの間にかダイフェンのうめき声もやや収まっており、心なしか表情も穏やかになっている。


「よし、やっと飲み込んでくれたわ!」


 エリザスが、無意識のうちにガッツポーズを決める。最初の難関を突破したのだ。


「それにしてもランダ、あなたの歌ってすごいわね。とっても上手いし、心をあんなにリラックスさせるなんて、まるで魔法みたいよ」


「うむ、わしもなんだかうっとりして聞き惚れていたら、つい眠たくなってきたぞ、フワーッ」


 バレリンが目を押さえつつも、呑気にバカでかいあくびを一発かます。


「は……恥ずかしいニャ。昔、母さんによく歌ってもらった、虎猫族に伝わる子守歌だニャ。


 そこのバカ旦那……じゃなかった、ダイフェンには、お前の歌は酒場には合わないし、歌わなくていいって言われて、ちょっとくやしかったけどニャ」


「グボガギボガ!」


 噂のバカ旦那が何やら手を上げて抗議している。


「ダイフェン、静かにして! 今いいところなんだから! 動いちゃよく見えないわよ!」


 蛇の視線に集中しているエリザスは、患者の腕をむんずと摑まえると、ベッドにしっかり押さえつけた。


「フ……フガ」


「わかればよろしい。しっかし変ねえ、今のところ何もないわ」


 彼女は戸惑っていた。ようやく食道に侵入出来たものの、中はいたって正常なピンク色の狭い肉壁がうねうねと連なっているだけで、以前自分のときに見たような、青色の盛り上がり……連珠状と呼ぶらしいが、そういったものはいっこうに見当たらないのだ。だが、このまま迷っているわけにもいかない。


(えーい、ままよ!)


 彼女は黄金の蛇体に力を込めると、悪夢のようなトンネルの中を、恐れ知らずの鉱山の鉱夫の如く、奥へ奥へと突き進んでいった。やがて肉塊の洞窟が急に狭まってきたため、エリザスは不安が強まってきたのを感じ、もう1錠ワイパックスを飲んでおくべきだったかと後悔した。


「一番奥まで来たけれど、結局食道には何も傷が無さそうよ、ダイフェン。今のところ、蛇が当たっている痛みのほかにも、体内に何か疼痛はある?」


「ガギ」


 彼は指をクロスさせバツサインを形作る。おそらく「無い」と答えたのだろう。


「うーむ、痛みが少ない点は食道静脈瘤と似ているんだけど、どうやら別物みたいだし……わからないわ……ああ、不安が悪化しそう」


 悩めるエリザスは、心臓の鼓動がエスカレートしそうになる予兆を覚え、冷や汗を形のよい額から滴らせた。やはり、付け焼刃の医学知識しか持ち合わせていない駄メデューサごときに、異世界の医師の真似事など、無謀極まる大それた行いだったのだろうか……?


「くじけるんじゃない、エリザス! ランダ、さっきの続きを歌うんじゃ!」


「わかったニャ!」


 バレリンの促しで、ランダは再び深呼吸すると、喉の調子を整えた。

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