カルテ131 猫娘とバイオリン弾き その5
エリザスは息を大きく吸い込み、不安を無理矢理抑え込むと、とっさに側のタオルをダイフェンの頭に巻き付け、目隠しとした。
「な、なにをするんだニャ!?」
「二人とも、ここは私が何とかするから、一旦部屋から出てちょうだい!」
「し、しかしお前さん一人だけで、いったい何ができるというんじゃ!?」
「そうだニャ! 宿の人を呼んできた方がいいニャ! それか今すぐライドラースの神殿に急ぐニャ!」
「うるさい! 早く出て! でないと死ぬわよ!」
「「ひいいいいいいいっ!」」
みるみるうちに、二人に背を向けているエリザスの長い金髪が太くなり、蠢く無数の黄金の蛇と化していく。
「へ、蛇の髪の毛ってことは、お嬢ちゃんはメデューサだったんか……」
「は、初めて見たニャ……もっとも、見たら石になっちゃうから、初めてで当然かニャ……?」
「いいから早く!」
「「はいいいいいいっ!」」
バレリンとランダは血相を変えると、揃って弾かれたように勢いよく部屋から飛び出し、バタンとドアを閉めた。ダイフェンはその間も間欠泉のごとく床に噴出し続けていた。もはや嘔吐ではなく完全なる吐血状態であり、胃液のすえた臭いより、血の鉄錆臭の方が強いくらいだ。
エリザスは再び深呼吸をしながら拳を強く握りしめて心を落ち着けると、荷袋の中から薬包を取り出し、小さな錠剤を一粒手に取り、水も使わずごくんと飲み込んだ。あの日、本多医師から貰ったワイパックスと言う名の抗不安薬だ。胃の中で溶けて吸収され、血液に流れこむまでは少なくとも30分はかかるだろうと言われたが、飲んだということ自体が安心感を与えたためか、心なしか気分が少し楽になった。いわゆるプラセボ効果に過ぎないのだが。兎にも角にも、ようやく血の海のど真ん中でも思考が研ぎ澄まされ、頭脳が明晰に動き出した。
「さてと、どうしたものか……とりあえず、このままじゃまずいわね」
彼女は頭の蛇たちを風に煽られる柳の枝のように揺らめかせながら、一人思案した。飲酒のさなかに吐血が起こったということから推測するに、これはおそらく、あの時の彼女自身と同じ、食道静脈瘤の破裂による出血だろう。ならば、治療法は一つしかない。問題は、頼れる医師も看護師もいないのに、あの時と同様に処置が出来るのか、ということだ。そもそも、どうやって生きて動いている蛇なんぞを、彼に飲み込んでもらえるだろうか?
「うーむ……」
悩んでいるうちにも、刻一刻と時間は過ぎて行き、床を流れる血の川は徐々にその幅を広げていく。
「あんた……メデューサだって? ゴボッ」
血河の源泉たる男が、ベッドに横たわったまま、しゃがれた声を上げる。エリザスは一時的に我に帰った。
「あんまり喋らないで……その通りだけど」
彼女は素直に認めた。今更隠せやしないし、さすがに今すぐどうこうされることはないだろう。
「なるほど、そのメデューサの力で女神竜を倒し、さっきの大ネズミも捕まえたってわけか……納得したぜ」
「だから喋ったら傷口が開くわよ! あなたの喉の奥に傷があるのよ!」
「どうせ出血がひどいし、多分助からんだろう……誰にもどうすることも出来んさ。随分いい加減な人生を送ってきて、女房のランダにも迷惑をかけ通しだったし、当然の報いってやつかな、ハハ……」
半ば投げやりになってきた彼に、エリザスは必死に呼びかけた。
「そんなことない! 私にはあなたを救うことが出来る! あなたが私を信じてくれさえすれば、だけど……」
「……ほう、どうやって?」
諦めモードだったダイフェンの声音に、好奇心の色が混ざった。
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