カルテ130 猫娘とバイオリン弾き その4

「散らかっていて猫臭くて悪いが、入ってくれ」


「猫臭いは余計だニャ、ダイフェン!」


「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しまーす」


「わしもいいんかの?」


「どーぞどーぞ」


 というわけで、エリザスは、ついでにバレリンも一緒に、酒場の二階にあるダイフェンとランダの泊まっている部屋に案内された。部屋の家具はベッドが二つとテーブルが一つだけという簡素なもので、椅子すらないので男性陣と女性陣に分かれ、テーブルを挟んでそれぞれベッドに腰かけた。バレリンが下から持ってきた酒瓶を各々のカップに注ぎ、とりあえず出会いを祝してワインで乾杯となった。


「それで、俺に何を聞きたいってんだい、金髪のお姉ちゃん……じゃなかった、えーっと」


「エリザスよ。実は私、女性の顔をしたドラゴンを探して旅してるのよ。そいつは符学院の女神竜像の仲間でね、私の故郷を滅ぼした憎い敵なの。女神竜像の方は、いろいろあったけれど、この前何とかバラバラにしたんだけどね」


 早くもカップを殻にしたエリザスは、普段より真剣な表情を作って、顎鬚をしごいているダイフェンの顔を覗き込んだ。


「へえ、じゃあ朔の日の符学院の騒ぎは、あんたの仕業だったのか。さすが護符師だな。そいつはいい歌(サーガ)の題材になりそうだ」


 ダイフェンは指の動きを止めると、驚きを孕んだ眼差しで、彼女を見つめ返した。


「あの新月の晩は、ぶっとい変な歌がここまで響いてきてびっくりしたニャー」


 ランダという猫娘はワインを口にすると喉をグビグビと鳴らした。


「ありゃりゃ、もう噂がここまで届いてんのね……ていうか、さっすが吟遊詩人ね」


 エリザスは世間の狭さを思い知りつつ、笑ってごまかした。


「ま、商売柄耳聡いもんでね。しかし女の顔をしたドラゴンねえ、はて、どこかで聞いたような気が……」


 ダイフェンは眉間にしわを寄せると、再び三日月に似た形の顎鬚に手を伸ばす。どうやら考え事をするときの癖の様だ。


「おっ、なんぞ知っとるんかいの?」


 バレリンも興味を持った様子で、ワインのカップを口に運ぶ手を止める。


「ど、どうなの!? 何か思い出した!?」


「まあまあエリザスちゃん、そう焦らずとも、飲んでりゃそのうち思い出すって」


 飄々とした吟遊詩人は、猪のように鼻息を荒くして顔を近づけるエリザスを軽くいなすと、手酌でワインを自分のカップに注ぎ、ぐいっと飲み干した。


「うーん、やっぱただ酒はうめえなあ」


「ちょっとダイフェン、飲み過ぎたら商売道具の喉を傷めるニャ! ほどほどが肝心だニャ!」


 ランダが心配そうにテーブル越しに夫を覗き込む。どうやら意外と世話女房肌のようだ。


「なーに、このくらい補充しなけりゃ、喉が潤わないし、いい声が出せねーだろーが。大体酒ごときで病気になる奴がそんなにいてたまるかってんだ。ねえ、お二人さん?」


「「……」」


 まさに酒ごときで病気になったことのあるエリザスとバレリンのお二人さんは、気まずく愛想笑いするのみで、何も答えられなかった。


「で、ドラゴンについてはどうなのよ? いい加減に思い出してくれたかしら?」


 しばしの沈黙の後に、しびれを切らせたエリザスが、再びダイフェンを見据えて問い詰めた。


「うーん、ここまで出かかっているんだがなー、確か北の方で……ゲボオオオオオオオッ!」


 それまでいい気分でくつろいでいたダイフェンが、突如カップを取り落とすと、胸に手を当て、盛大に胃の内容物をテーブル上にぶちまけた。赤いワインや黄色い胃液が混じった液体が、テーブルの足を伝って流れ落ち、古びた床板を極彩色に染める。


「ダ、ダイフェン! だから言わんこっちゃないニャ!」


 慌ててランダが側に駆け寄るも、ダイフェンは二度、三度と激しく嘔吐を繰り返す。そこに、ワインとは明らかに違う赤い液体が混じるのを見て、エリザスは戦慄におののいた。このままでは、あの夜の二の舞だ!

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