カルテ118 新月の夜の邂逅(中編) その1
-イーブルエルフのベルソ村にてマンティコア一行と黒装束三人組との激しい戦いがあった少し後-
「カコージン、そろそろさっきの祠に着きますけど、背中のお荷物はまだ夢の中ですか?」
疲れた足取りでセフゾンの森の夜道を歩くオダインが、後方に向けてやや棘のある口調で尋ねる。
「もうちょっとで目覚めそうなんですがね……水でもぶっかけますか?」
「顔でも引っぱたいて起こしてください。しかし弱りましたね。これだけ周到に用意しておいて、イーブルエルフを唯の一人も殺すことが出来なかったとは……」
彼は、木々の梢からわずかに覗く、月も星もない極黒の夜空を見上げると、ため息を吐いた。
「すいません、俺が未熟だったばっかりに……」
ヅラの脱げたつるりとした頭を下げ、大きな身体を心もち縮め、カコージンが小さな声で先を行く上司に謝る。
「あなたのせいだけではないですよ、カコージン。あなたの弟くんだけでなく、思わぬ来客が相次いだのはどうしようもないことですしね。
イーブルエルフ間の連携については用心していたつもりでしたが、ちょっと火事や戦闘で目立ちすぎましたか……今度から大火の護符はあまり使用しないほうが良いかもしれません」
「はい……しかし俺たちは今後、どうなっちゃうんでしょうかね、オダイン先生……」
火傷した身体が痒いのか、時々厳つい顔をしかめながら、ぼうず頭の哀れな男は不安そうにつぶやいた。
「減給だけで済めば御の字だと思いますよ。それ以外のことは私にもわかりません。最悪の事態も覚悟しておくことですね」
「全てはグラマリール学院長の御心次第ってわけですか……本当に殺されなきゃいいですがね」
「そんなに殺して欲しいのか、無能ども?」
「「!」」
突如、前方から響いてきた闇そのものが生を得て喋り出したかのような血も凍る声に、二人は喉を詰まらせた。いつの間にそこにいたのか、オダインたち同様に黒覆面と黒装束に身を包んだ二人の人物が、墓場から湧いてきた亡霊のように佇んでいた。
一人はやや小柄で、服の上からでも明らかな大きな胸と尻から、女性であることは明白だった。もう一人はオダイン以上の長身で、黒いマントを羽織り、例えようもない凄まじい威圧感を周囲に放っていた。黒覆面の下から覗く銀色の仮面が、その人物の素性を如実に物語っていた。
「ググググググラマリール学院長様!」
思わず背中のリントンを振り落としたカコージンが、まるで凶悪な魔獣に出くわしたかのように驚きの声を上げる。
「クラリス秘書まで! 一体どうなさったのです!?」
オダインも、カコージンほどではないが動揺を隠しきれない様子で、糸目が倍以上に見開かれていた。
「どうなさったのですだと? それはこちらのセリフだ。貴重な護符を持たせてやったというのに、なんの釣果も得ずに負け犬のようによくおめおめと戻ってこれたものだな。貴様らのお蔭で肩凝りが悪化しそうだわ」
黒マントがコキコキと肩関節付近から音を立てながら、聞く者全ての魂を奪い去るといわれる地獄の使者のように恐ろしげな声音で、彼らに答えた。
「学院長様、お言葉ですが、仕方なかったんです! あんなところにマンティコアや、ハイ・イーブルエルフの残党が現れるなんて、想定していなかったものですから!」
必死に訴えるオダインに対し、黒マントことグラマリール学院長が、首を傾げる。
「引きこもり種族のハイ・イーブルエルフが他のイーブルエルフを助けたというのか? 珍しいことだな」
「はい、最初は私も目を疑いましたが、間違いなく、以前取り逃がしたと思われる相手でした。
多数の仲間を引き連れていたため、どこかに潜んで我々の動向を伺っていた可能性があります」
「ほぅ……面白い。我らに楯突くというのか。さて、どうしてやったら良いものか……」
学院長が心胆寒からしめるささやき声を発した後、黙りこくったため、闇の森を静寂が訪れた。と、その時、夜のしじまを切り裂くような、バサバサという大きな羽音が彼らの頭上から生じた。
「な、なんだぁ!?」
すっかり小心者であることを暴露したカコージンが、怯えたように天を指差す。そこには、暗くてはっきりとはわからないが、翼を持った大きな獣が何人かの人影を背中に乗せ、彼方へ飛び去っていく姿があった。
「落ち着きなさい、カコージン。フシジンレオとかいうマンティコアですよ。おそらく焼けたベルソ村から住人たちを何処かへ移送しているのでしょう。先ほどより搭乗人数が多いようでしたし」
オダインが、カコージンの大きな肩に手を置き、鎮静化に勤めた。
「おかしいですね、あの方角は人の住まぬワシュライト山があるだけですが……」
今まで黙りこくっていた女性が、初めて発声する。その声は控えめだが、一度聞いたら魂の震えが止まらなくなるかと思われるほどの美しい音色だった。
「ワシュライト山の深奥には何があると思う、クラリス?」
ザイザル共和国の最高権力者をも兼任する男が、優しげに女性に語りかけた。
「……ひょっとして」
「そう、最も深い森だ。よし、後を追うぞ、クラリス!」
「はい!」
「あの、私たちはどうすれば……」
遠慮がちに問いかけるオダインを見もせずに、「足手まといは帰れ」と、秘書に対する時とは打って変わって冷たく吐き捨てると、グラマリールは傍らの木に繋いであった馬に跨り、颯爽と森の奥へと消えていった。
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