カルテ119 新月の夜の邂逅(中編) その2
ベルソ村のあるセフゾンの森と、ハイ・イーブルエルフが住むといわれる最も深き森の間には、ワシュライト山という環状に連なる険しい山脈がそそり立つ。延々と絶壁が続く峨々たるその山肌は峻険そのもので、まともな登山道など存在せず、登攀するのは、よほど山に熟練した者でも難しいとされ、翼あるものしか内部との行き来は困難である。
他の侵入経路としては、所々山肌に開いている洞窟内を進むしかないが、中は迷路状に入り組んでおり、正しいルートを知らぬ者はたちまち道に迷い、生きて抜け出すことは叶わないといわれる。これらの艱難辛苦の道のりを超え、ようやく山脈の内側にたどり着いたとしても、昼なお暗き最も深き森の中は、数多の凶暴な魔獣が生息し、弱肉強食の結果、最悪の種が我が物顔でうろつき回る、この世の地獄ともいわれる魔境と化していた。
その恐るべき密林のあちこちに点在する古代カバサール王国の遺跡の一つに、イレッサを筆頭としたハイ・イーブルエルフの集団十数人と、ベルソ村のイーブルエルフたち三十名ばかり、そしてマンティコア一行こと、フシジンレオ、シグマート、ミラドールの三名は、先ほど無事に全員到着した。空路によるフシジンレオのピストン移送があったからこそ、短時間のうちにこれだけの大人数を運ぶことができたのだが、さすがのマンティコアも何往復もしたためかへばってしまい、「まったく老人をこき使いおって……これではいくら巨乳ちゃんたちを運んでも割に合わんわい……」とふてくされて、片隅で横になっていた。その広い室内では、テーブルを囲んでイレッサをホストとして、三人の客人たちの歓迎の宴が開かれていた……。
「……というわけで、あたいは白亜の建物から立ち去った後、無事に黒装束どもから逃げおおせることができたってわけよ。どう、面白かった?」
イレッサは長い話をそう締めくくり、テーブルの上に置かれた皿に乗っている、何かの肉を串焼きにして茶色いタレをかけたものを一本取ると、豪快にガブっと噛み付いた。石でできた殺風景な部屋の中には数個のランプが灯され、昼間のようにとまではいかないが、程よい明るさに優しく包まれていた。
「へぇー、そんなことがあったとは……じゃあ、イレッサさんは、僕たちと同じ白亜の建物経験者だったんですね。護符師としても非常に興味深い内容でした」
対面に座るシグマートも、焼肉にかぶりつきつつ、目をキラキラと輝かせて話に聞き入っていた。
「しかし、その……今の話だと、ミズムシというのは人から人にうつるのか?」
イレッサの隣に座るミラドールは、話の途中から明らかに表情が強張っており、目の前の大好物の肉と酒にも欠片も手をつけなくなり、ゴミでも見るような目付きで緑のモヒカン頭を一瞥した。
「あ〜ら大丈夫よ〜、ミラちゃんたら〜。うつるったって、直接お肌とお肌を触れ合ったり、菌を持っている人が使ったタオルや下着なんかを洗わず使ったりしない限り、問題ないから安心してよ〜。美人のくせに怯えちゃってきゃっわい〜ん」
イレッサはやや出来上がった赤味がかった顔を更に火照らせ、メートルを上げた。
「そうは言ってもお主、さっき我輩の背に乗ったよな……? こんなことなら振り落としておけばよかったかのう……」
奥の暗がりで、虎の毛皮の敷物みたいに腹ばいになって寝そべっているマンティコアが、自分よりも凶悪な異形の怪物にでも出くわしたかのような恐怖に怯える声でぽつりとつぶやいた。
「だーかーらー、だいじょーぶだって、フシちゃ〜ん。ちゃ〜んとサンダル履いてたし、変な髪の毛のお医者さんに貰った塗り薬のおかげでミズムシちゃんは現在みんな引っ込んじゃってるから、そう簡単にはうつんないわよ〜ん。あたいと組んず解れつの激しいプレイでもするつもりだったらわっかんないけどさ〜、アハハハハ〜」
とても人の髪型をどうこういう資格はないモヒカン野郎がアゲアゲのテンションで高笑いしたが、それとは対照的に場の空気は冷え込んでいく一方だった。
「やっぱりイーブルエルフは邪悪な種族……後世のためにも滅ぼしといた方がええんかのう……?」
赤毛の獅子が猛獣の瞳をギラリと光らせる。
「不穏なことを言うのはやめてくださいよ、フシジンレオさん! 変態とはいえ、一応助けてもらったんですから!」
「こんな病気持ちの腐れ大根頭と一緒にするな!」
シグマートとミラドールが、ほぼ同時にマンティコアに対して抗議した。
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