カルテ109 死せる少年 その3

 あの、ルセフィたちがバイエッタのために偽白亜の建物という茶番劇を演じて闇に消えていった日から、アルトは奇妙な症状に悩まされるようになった。それまでは三食人一倍食べていたというのに、あまり食欲が湧かなくなり、徐々に食事量が減っていった。まるで蛹の中の芋虫のごとく、何だか自分の内側がドロドロに溶け、別種の生物に変貌を遂げようとしている感覚に絶えず苛まされ、腹の中が渦巻くように感じた。吸血鬼の口づけを受けた額がヒリヒリと焼け付くように感じられ、彼は袖口でしきりにその部分を擦った。


(俺は実はもうとっくに死んで、不死の存在に生まれ変わってしまったんじゃないのか……?)


 そんな考えばかりが始終脳裏をよぎり、徐々に外出しなくなり、身体の清掃も怠るようになった。彼は鏡や水面を覗き込むことを恐れ、ルセフィが被っていたのと同じタイプの帽子を着用するようになった。


(もし万が一、耳が尖ってきたら、人外の化け物として追い出されてしまう……!)


 次第に回復してきたバイエッタと対照的に、どんどん病的になっていくアルトに対し、家族はしきりに心配し、どうしたのかと聞くが、彼はうつむいたまま、暗い声で、「別に……」としか答えなかった。


(自分はこのままだと、遠からず吸血鬼になるのだろう。そうなったらとてもここには住めない。いっそあの女吸血鬼一行に加えてもらうという手もあるが、今からではとても追いつけないだろう。いったいどうすれば……!?)


 懊悩する少年は、その時、幼き日に誰かに聞いた言い伝えを思い出した。


(確か、ここから遥か西に行った場所にあるイーケプラ島という名の離れ小島に、吸血鬼が住む古城がそびえ立つって聞いたような……バカバカしい昔話だと思っていたけれど、実際に吸血鬼が存在するんだから、嘘じゃないかもしれない。こんな自分でも置いてくれるところは、地上に最早そこしかない!)


 そうと決心すると、行動は早かった。アルトは密かに旅支度を整え、家の金などをくすねると、村に来た行商人の馬車にこっそり乗せてもらい、家族に内緒で出奔したのだった。



「へぇ、中々面白い話ね。しかしグルファスト王国からよくここまで辿り着けたもんだわね」


 珍しい話や物語が大好物のリリカは、少年が語るストーリーにいつしか引き込まれていた。ルセフィという女吸血鬼の転生した原因となった雪の山荘の一件や、偽白亜の建物騒動、そしてアルトの謎の身体異常など、織物のように次々と連なっていく話は、リリカが今までに聞いたこともない類のものであった。


「ええ、俺もそう思います。イーケプラ島に最も近い漁港まではなんとか馬車を乗り継いで来れたんですが、誰に頼んでも恐れて船を出してくれなくて、仕方なくこのボートを無断で失敬して、一人で沖に向かって漕いで行ったんです。運命神カルフィーナに助けられたとしか思えません」


「あたしが信仰しているのは、邪神デルモヴェートなんだけど……ま、いっか。あんた、格好はダサいけど話は面白いし、その度胸は気に入ったから、特別に我が城に宮廷道化師兼吟遊詩人兼雑用係として置いてやってもいいわよ」


 上機嫌のリリカは人差し指をピッと立てた。


「リ、リリカ様、さすがにそれはお考え直しください。伝統あるイーケプラ城に下賎な人間を住まわせるなど……」


 ロゼレムが珍しく慌てて口を挟むも、主人の瞳はたちまち紅蓮に燃え上がった。


「えーい、うるさい! 誰が城主だと思ってんの!? これはバンパイア・ロード自らの命令よ! 控えよ下郎!」


「は、ははーっ! 失礼いたしました! 出過ぎた真似をして誠に申し訳ありません!」



 こうして吸血鬼たちと少年との、奇妙な同居生活が始まった。

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