カルテ101 白亜の建物 その4

「とにかく、どのような症状かだけでも教えていただくことはできませんかな、お嬢さん?」


 ダオニールが、全てを受け入れるような温かな笑顔でもって少女に語りかける。


「言っても無駄でしょうけど……だいぶ前から、食事の後に喉が渇いたり身体がだるくなることがあったんです。最近特にひどくなり、急に意識がなくなることまで起こるようになりました……」


「!」


 訥々と語る無表情な少女とは対照的に、ルセフィの相貌に驚きの色が走り、ただでさえ青白い顔色がさらに悪化する。


「やはり……」と老執事がボソッとつぶやくも、それすらも耳に入っていない様子だった。


「この子ったらけっこう我慢強くって、ずっと自分で抱え込んで、内緒にしていたんですよ。それで、私たちも気がつかなくって……」


「そ、そうだったの……」


 フィズリンの声にようやく我を取り戻したルセフィは、頭の中で激しく考えを巡らせていた。


(これは……アレに間違い無いだろうけれど、いったいどうすればいいの? この頑なな少女の心を溶かすため、胸襟を開いて私の全てを打ち明け信用を得る……? いえ、そうすれば吸血鬼だということまで話さなければならなくなる……)


「どうされましたか、ルセフィさん? お顔が優れない様子ですが」


 さすがに気になったのか、バイエッタの方から問いかけてきた。


「い、いえ、これは元からだから大丈夫よ。それより少しばかり考えさせて頂戴」


「そうですか、わかりました。ところで皆さんはどこにお出かけの途中だったんですか?」


「!」


 不意打ちのごとき少女の質問に、人外の二人は固まってしまった。明確な目的地なぞないために、咄嗟には答えにくかったのだ。


「ほ、ほら、ガウトニル山脈の奥地に運命神カルフィーナ様のお告げ所があるじゃない。確かあそこを目指しておられるって聞いたわ」


 空気を読むのが上手いフィズリンが、またもやその場をフォローする。


「そ、そうなんですよ。我々はルセフィお嬢さんのお母様を探していましてね、どうしても見つからないので神様に居場所をお尋ねしたくて旅をしていたんですようががが」


 ルセフィがこっそりダオニールの足を踏んづけたため、彼は奇怪な語尾を伸ばした。


「うががが?」


「で、では、長居してしまったので、これで一旦失礼いたしますね」


 これ以上余計なことを話してボロが出る前に、三人はそそくさと逃げるように部屋を後にした。



「で、どうでしょうか、ルセフィお嬢さん?」



「ええ、十中八九、糖尿病を患っていると推定できるわね。ダオニールはどう?」


「私もルセフィさんと同意見です。例の桃のような香りが、あの部屋からは神殿に焚き込められたお香のように、濃密に漂っていましたね」


「あなた、どうりで鼻をクンクンしていたわけね……」


 バイエッタの部屋を抜け出した三人は二階の客室に集まり、こそこそと話し合っていた。傍らのベッドでは、テレミンが懇々と眠り続けている。


「それでダオニールさんもお呼びしたんですよ。是非とも優秀なそのお鼻をお借りしたくって……」


「ハハハ、こんなものでよろしければ、いつでもお貸しいたしますよ。で、どうします、ルセフィさん?」


 褒められて有頂天になったお気楽執事は、眉間にしわを寄せている少女に話しかけた。


「……難しいわね。彼女を救うには、かつての私同様インスリン注射を継続して行わなければならない。

幸い、ここには私が以前使っていた注射器があるわ」


 ルセフィは自分のベッドの枕元に置いてある小さな黒い袋を指差した。


「やはりそうでしたか……症状を聞いて、なんか怪しいな〜っと思ったんですよ。誠にすいませんが、是非その注射器をお譲りいただけませんか?」


「それは構わないけれど、どうやってあなたの妹に説明するの? 彼女は私同様十代にして発症しているので、あのモジャモジャ頭のお医者の言う通りだとしたら糖尿病の1型に分類されるはずだけれど、その場合はそう簡単に治るものではないので、私がずっと使っていた貴重な注射器を、要らなくなったからあげるっていうのは無理があるわ。まさか吸血鬼に転生したから不要になったとでも言うわけ?」


「……」


 ルセフィにズバッと指摘され、フィズリンは言葉を詰まらせた。


「予備があるとか嘘をついたらどうですか?」


 ダオニールが、妙案を思いついたような顔をして得意げに案を披露した。


「長年使い込んだ形跡があるのに、今更予備とか言ってもちょっと無理があるわ。それに、人に物をあげるなら、こういう場合は普通まだ使っていない新品の方をあげるものよ。これはお父様から聞いたんだけれど、なるべく注射器というものは、違う人間が使わない方がいいと言っていた。今回のケースは仕方がないけれどね」


「うーむ、中々厄介ですな……」


「じゃ、じゃあ、亡くなったお母さんの形見だと言えば……」


「さっき彼女を探しているって言っちゃったじゃないのよ、このダメ狼が!」


「アヒイイイイイ!」


 怒れるバンパイア・ロードは瞳を赤変させると再びダオニールの足にグリグリと踵を捻り込み、絶叫が深夜の農家に木霊した。

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