カルテ94 ハイ・イーブルエルフの密やかな悩み その11

「そこで手に入れた護符を後輩に手渡し、こっそり標本を作ってもらいました。さすがにクリオスタットは高価過ぎて大学の研究室ぐらいにしか置いてないですからね。そして完成したブツを受け取ったお返しに、近所のおでん屋……食べ物屋で後輩と一緒に一杯やった時、彼から『なんか奇妙な二重螺旋状のDNAのお化けみたいな謎の生物が見えた』と聞いたんですが、僕は半分酔っ払っていて『ふ〜ん』って鼻で笑ってスルーしちゃったんですよ。その後レセプトが溜まってたりしてクソ忙しかったので、標本のことはすっかり忘れ、引き出しに放り込んだまま今まで机の肥やしとなっていた、というわけです」


 そこまで話すと、本多はハイ・イーブルエルフの顔を、かつて無いくらい真剣に見つめ、口をつぐんだ。


「さすが伝説の白亜の建物を治め、多くの命を救ってきたお医者様ね。そこまで深く洞察していたなんて……」


 ようやくイレッサは喉の奥から言葉を絞り出した。褐色の肌を青ざめながら。彼の頭の中は、いつになく晴れ晴れとしていた。まるで長年立ち込めていた人跡未踏の山の霧が消え去ったかのように。だが、そこに現れたものはまごうかた無き地獄だった。


「おかげさまで、全ての謎が解けたわ。何故、あの黒衣の男たちが特殊な護符を持っているのか。そして彼らは何者なのか。何故、イーブルエルフを執拗に狙い、殺すのか。何故、何も悪いことをしていないイーブルエルフが忌み嫌われているのか」


「更に付け加えるならば、何故、全ての護符に色が着いているのか。そもそも、何故、護符を使用することによって魔法が使えるのか、ですね」


 理知的な光を垂れ目に宿らせた本多が、ハイ・イーブルエルフの次句を継ぐ。あたかも長年の修行で悟りを開いた聖人のように。


「ええ、その答えはただ一つ。口にするのもおぞましいことだけれど……」


 イレッサは言葉を詰まらせるも、心を奮い立たせるように、入れ墨の刻まれた頬を自分の右手で軽く叩くと、炎のごとき息吹を吐いた。


「護符を作成するために、イーブルエルフ、またはハイ・イーブルエルフの皮膚が使用されていたってことよ! うおおおおおおおおおおお!」


 緑のトサカ頭を天を衝くほど逆立てつつ、怒りに震えるハイ・イーブルエルフは、手負いの竜もかくやというほど全身全霊をもって雄叫びを上げ続けた。無惨に虐殺された仲間たちの生前の笑顔が、沸騰した脳裏をよぎる。その中には友達や、大好きだった父母の姿もあった。許せない。絶対に許せない。必ずやあの黒装束の連中……つまりは符学院に潜む人の皮を被った悪魔どもを殺し、皆の仇を討ってやる! 知らず知らずのうちに両眼からは滂沱のごとく涙が流れ落ち、肌を伝ってようやく乾きかけた衣類を濡らしていた。


「お茶をお持ちしました。お飲みください。少しは気持ちが静まると思います」


 いつの間にやら音もなく背後に立っていた赤毛の看護師が、手にした朱塗りのお盆から湯呑みを取り、机の上にそっと置く。その洗練された所作には、一瞬とはいえ復讐の念に焼き尽くされかけていた彼の心を現世に引き戻すだけの魅力があった。


「あ、ありがとう……いただくわ」


 絶叫を止め、少しばかり我に返ったイレッサは、五彩に彩られた九谷焼のカラフルな器を手に取ると、中に湛えられた、彼の頭髪と同色の液体を、グビッと一気に飲み干した。


「何これ……すっごく苦くて渋いけれど、なんだか後味がすっきりするわ……」


 思い切り顔をしかめたイレッサだったが、口腔内に残る不思議な旨味と爽やかさに気づき、心持ち無いはずの眉を上げた。


「今飲まれた緑茶に含まれるテアニンというアミノ酸は、心を落ち着かせ、疲れた脳を休める作用があるといわれます」


 セレネースはお盆を胸に抱えたまま、相変わらず無愛想だが、丁寧な口調で説明した。


「あれ〜、僕にはお茶はないの、セレちゃ〜ん?」


「先生には不要でしょう。飲みたければ自分で淹れてください」


 冷酷かつ無慈悲な看護師は死刑宣告のように言い捨てると、 再び診察室を出ていった。


「相変わらずだなぁ、セレちゃんは……でも患者さんのことを第一に考えている点はグッドですけどね〜。あっ、そうだ、聞き逃すところでしたが、トサカさんは彼女によく似た人に、今まで会ったことってありませんか〜?」


 出し抜けに奇妙なことを聞かれて、気を削がれたイレッサは、「はぁ……特になかったと思うけど……」と答えてしまった。だが同時に、これは逆上して我を忘れていた自分に対して、冷静になるように話を変えてくれたんだな、と気づき、ついおかしくなって笑いそうになった。そうだ、まだいろいろ考えねばならないことが山積している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る