カルテ95 ハイ・イーブルエルフの密やかな悩み その12
「こちらの世界でのファンタジー小説では、肌の黒いエルフは大抵問答無用で悪役なので、僕もつい先入観から、イーブルエルフが嫌われ者だと聞かされても、皆がゴキブリを憎悪するのが当然というのと同じように、当たり前だと受け取ってしまいました。いわゆる思考停止ってやつですね。でも、それは何者かによる恣意的かつ周到な世論操作の結果だった可能性がありますね」
本多は顕微鏡の片付けを行いながら、考えをまとめるかのようにポツポツと静かに語った。
「つまり、その外道の輩はイーブルエルフは元から邪悪な存在で、迫害されたり殺されたりしても仕方がないという説を流布し、イーブルエルフ狩りを心理的に行いやすくしていったのね……皮を剥ぎ取るためだけに」
イレッサは、未だ緑茶をすすりながら、本多の言の葉を継いだ。
「ずいぶんと気の長い話ですが、誰かさんが何十年、何百年とかけて、徐々に世間の中に思想を浸透させ、自分に都合の良い環境を整えていったのは確かだと思います。なぜかというと、あなたたちの時間で二千年ほど前の時代には、イーブルエルフが邪悪だなんて話は露ほども聞いたこともなかったからです」
「本当にあなたって歴史の生き証人ね。でも、その説を正しいと仮定するなら、何者かはすっごい長生きしてるってことになるわよ?」
「ふ〜む、そうですね……」
本多は対物レンズと接眼レンズを、それぞれ右手と左手で器用にキュッキュッと外しながらしばし考え込んだ。
「ひょっとしたら、何世代にもわたって組織的にやっているのかもしれませんがね。そして、主犯格はきっと強い社会的な影響力を持っている人物でしょう。普通、一般人がいくら根も葉もない噂を流したところで、力無き者の言うことなど誰も信じませんからね」
「そしてそいつは、遥か昔に、イーブルエルフの皮に文字を書き込み呪文を唱えることによって、他の種族にも魔法が使えることを発見した……」
「控えめに言って大天才だと思いますね。おそらくハイ・イーブルエルフが肌に入れ墨を施してから魔法を修得することをどこかで知ったんでしょう。それで彼らの皮膚に目を付け、どうやってか知りませんが皮を手に入れ、実験に実験を重ね、護符なるものを生み出したってとこですかね」
「少しづつだけれどだいぶ相手の顔が見えてきたわね。そいつは護符魔法を世に広め、符学院というシステムを築き上げ、利権を独り占めにした……」
「まさに、それこそが強い社会的な力となったんでしょうね。彼は自分の命令に従う手足を手に入れ、数を増やし、噂を更に広め、その一方で実行部隊を組織して、イーブルエルフ狩りを秘密裏に行い、護符を次々と生産していった……」
本多はスライドグラスを顕微鏡のステージから抜き取り、しげしげと見つめた。まるでそこに世界の秘密が隠されているのを解き明かそうとするかのように。
「ここから先は、更に仮説の仮説になりますが、この特殊な真菌か何かが皮膚に寄生することによって、魔法という超常の力を宿主にもたらしてくれるのかもしれませんね。寄生生物は、時として宿主に利するように働くことがあるんですよ。結果として自分の利益に繋がりますからね。宿主の皮膚へのあらゆる刺激を吸収し、自分と寄生先を守るために、何かの拍子で外部に放出する。それが、あなた方の使用する魔法の原理なのかもしれません」
「まるで見てきたように語るわね、あなたって……」
イレッサは感心しながら、また一口お茶を飲んだ。結構気に入ってしまい、そろそろ無くなるのが惜しくてお代わりが欲しいくらいだ。
「まぁ、今までの話は何の証拠もなくて、推論でしかないのがちと悲しいところですがね。ところで学院の創設者は、まだご存命なんでしょうかね?」
「さぁ、数百年の歴史を誇るとは、以前人間にちらっと聞いたことはあるけれど、詳しいことは知らないわ。だけれど、あなたのおかげで様々なことがわかって、なんだか一皮剥けた気分よ。本当にありがとう」
イレッサは礼を述べると同時に、湯呑の縁を手でなぞった。今や脳内は大掃除をした後の室内のごとくすっきりと整頓され、光に照らされたように自分のやるべきことがはっきりと目に見えていた。
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