カルテ91 ハイ・イーブルエルフの密やかな悩み その8
「ちょ、ちょっと、どうしたっていうのよ! あたいにもちゃんと教えてちょうだい!」
痺れを切らしたハイ・イーブルエルフがカカシのように立ち尽くして動かなくなった本多の両肩をユサユサと揺さぶる。
「あ……ああ、すいません。つい思考の迷路に迷い込んじゃって。今までこんなもの見たことがなくて、つい興奮しちゃいました。実は、あなたの他にも水虫の患者さんはユーパンの方から結構来られまして、その都度この皮膚真菌検査をしたんですが、白癬菌以外は特に何もなかったんですよ。これはいわゆる世紀の大発見ってやつです! 新種の生物か何かかもしれません!」
やっと我に返った医師は、硬く両拳を握り締めると、口角泡を飛ばして熱を込めて一席ぶった。
「はぁ……つまるところ、これが何か、あなたにもわからないってわけ? 存外役に立たないわね〜」
少々イラついていたイレッサは、遠慮なく本多に向かって毒を吐いた。
「ハハハ、すいませんね〜、医者といっても所詮はただの人間で、神様でも悪魔でも勇者でも大魔王でもないんですよ。今の医学だって失敗と挫折の積み重ねからここまで発展してきたんです。偉大な先代達に感謝ですね〜。我々は、所詮巨人の肩に乗っている小人に過ぎないんですよ」
「そうだ、それで思い出したんだけど、あなたって一体何歳なの? まさか、二千年以上も生きているっていうの?」
ここぞとばかりにイレッサは、先ほど黒装束の男と戦って崖下に落ち、雨宿りのため入った洞窟の遺跡で謎の壁画を発見したことなどを、手短に話した。
「ふ〜む、なるほど、この空間がその大広間というわけですか。通りで真っ黒黒スケだと思いましたよ。でも言われてみると、以前何回かこの場所に来たような気はしますね〜。もう何年も前だったはずですけど」
本多はガチャリと診察室のドアを開けると、窓越しに外の吸い込まれそうな深い暗闇を見つめた。
「じゃ、じゃあ、本当にあそこに王様みたいな人と一緒に描かれているのがあなたってわけ!? 一体全体何歳なのよ!?」
人間の数十倍の長さを生きると伝えられるハイ・イーブルエルフは、自分よりも長命かもしれない規格外の存在を前にして、ただただうろたえていた。
「そうですね〜、僕の年齢は守秘義務があるんで教えてあげられませんけど、一応40代でピチピチの独身ですよ〜。バツイチなのが玉に瑕ですけどね」
「教えられないわりにはいらない情報が多いわね……でもそんなに若いくせに、どうやって……」
「ま、種明かしをしちゃいますと、僕が住んでいる世界とあなた方の暮らす世界では、時間の流れが全く違うからなんですよ。こうやって重なっている時だけ同じ速度で流れていますが、あなた方の方が普段はすごく速いんです。もっとも速度は一定ではないようで、波があるとは思いますがね。だから、あなたにとっては二千年前のことでも、僕にとっては10年も経っていなかったりするんですよ〜」
医師は両手を前にならえの格好で突き出すと、右手を速く、左手をゆっくりと動かしながら、わかりやすく説明した。
「な、なるほど……じゃあ、あなたの世界で明日、白亜の建物がユーパン大陸のどこかに出現したとしても、それはあたいにとっての明日ではないわけね」
「簡単に言うとそういうことです。恐らく一人の人間と一生に一度しか出会えないっていうのも、時間の速度の差のせいかもしれません。もっとも詳しいことは僕にもわかりませんがね。そういえば僕は以前、カバサール王国の国王を名乗る人物を診察しました。単なるストレス性の胃炎でしたが、かなり進行していたので危ないところでしたよ。胃薬を処方し、対策を話したところ、王は非常に感謝し、彼の子孫が診察を受けられるように、人目につかない地下にこの医院が出現できる広さの洞窟を造るとか言ってました。自分の病気のことを医者以外の他人に知られたくない人は多いですからね、特に敵の多い王族にとっては。そして病いに侵され診察を希望するカバサール王家の人はこの場所を訪れるようになり、本多医院が現れるのを待った、というわけです。今では絶えて久しい様子ですがね」
本多はどこか遠くを見つめるような目をしていた。まるでかつて出会ったすべての患者達の時代を貫き通すかのように。
「それで……」
イレッサはようやくこの不思議な遺跡の真の目的を理解し、納得した。
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