カルテ88 ハイ・イーブルエルフの密やかな悩み その5
「それではお尋ねします。現在お困りのことを教えてください」
「あら~、ちょーっとばかり恥ずかしいんだけど、言っちゃってもいいのかしら~?」
「遠慮なくどうぞ。ここはそういう場所ですから」
なぜか両者の視線の間に火花が飛び散ったような感じをイレッサは覚えた。見えない熾烈な戦いは続いていた。
「んじゃぁ、お言葉に甘えて言っちゃうわよ~ん、三カ月ほど前からあたいの両足の裏と、おち○ちんのあたりが痒くて痒くて仕方がないのよ~。足指の股のところが赤くなって皮が剥けたり、小さな水ぶくれができちゃったりして困っちゃうわ~。最近は頭のほうまで痒さが上ってきて疼いちゃうのよ~。あなた、あたいの大事なところをかいてくださるわけ? おち○ちんだけに」
「お断りします。ここはそういう場所ではないですから」
「なんかさっきと言ってることが違う!」
「別にそんなことはありません。では……」
にべもなく、下品極まる妖精の要求をはねのけると、冷酷な受付け嬢は心なしか瞳に力を入れて、こう言い放った。
「今から検査のため、あなたの両足、鼠径部、そして頭部の皮膚を剥ぎ取らせて頂きますのでご協力ください」
「ええええええええええっ!?」
素っ頓狂な声を響かせつつ、赤毛娘をからかう気も瞬時に失せ、自分はとんでもないところに迷い込んでしまったのではないかと、色事に関しては百戦錬磨のハイ・イーブルエルフは少なからず後悔した。
「な~んだ、剥ぎ取るって言われたから虎やヴァナラの毛皮の敷物みたいにベリベリ頭のてっぺんからお尻の先まで捲り上げられるのかと怯えちゃったら、ほんのちょっと取るだけじゃないのよ~、んも~、ひどいお嬢ちゃんね~」
本多医院の診察室でイレッサはベッドに腰かけながら、銀色に輝く二又に分かれた金属製の小さな器具で、しゃがみ込んで彼の足の指の間の発赤しめくれた皮膚をむしり取っているセレネースに対し、文句を垂れながらぷくぅっとふくれっ面をした。
「あなたが性懲りもなく変なことばかりおっしゃるから少しばかり脅しただけです。それより手元が狂いますのでしばらくの間静かにしていてください」
言葉とは裏腹に、優秀かつ冷静沈着な赤毛の看護師は、バネ仕掛けの自動人形のごとき正確さで、次々と皮膚を採取していった。
「んまっ、本当にあなたったら怖いわ~。そんなんじゃ、お嫁の貰い手がなくなっちゃうわよ~」
「し・ず・か・に・し・て・く・だ・さ・い・イ・レ・ッ・サ・さ・ん」
突如ピンセットの先端がメリメリっと採取中の箇所に鷹の爪先のように鋭く食い込む。
「痛たたたたたたたたたたたーっ! わ、わかったわよ!んもー」
口は禍の元と察した邪悪なハイ・イーブルエルフは歯を強く噛みしめ、一言も発しないよう気を引き締めた。口が軽く、いらないことまで言ってしまう悪癖を常々自覚している彼が、余計なおしゃべりをしない時のためにあみ出した対処法だ。
(それにしても不思議なところね。今まで薬草師や医術を行うライドラースの神官には会ったことがあるけれど、治療のために皮膚を取るなんて聞いたこともなかったわ。ここって本当に二千年以上も前からあるのかしら? そんな古そうには見えないけれど……。ま、せっかくの機会だし、伝説の存在のお手並み拝見といきましょうか)
歯ぎしりしそうなくらい顎を軋ませながら、イレッサは頭の中では万華鏡のように様々な考えを繰り広げていた。
「終わりました。お疲れ様です。もうその下劣極まる口を開けてもいいですよ」
ようやく残酷な神のごとき赤毛の女帝から恩赦が出たため、イレッサは疲れ果てた両顎を狼の遠吠えのように大きく開き、思う存分息を吸い込んだ。
「ふ~っ、久々に緊張しちゃったわ。で、これからなにをどうすんの?」
「今採取した皮膚片を特殊な液体に浸し、そこにある物を拡大して見ることが出来る顕微鏡という機械で観察し、あなたの病気の確定診断を行います」
セレネースはビドロでできた円形の小さな皿に摘み取った組織片を付着させつつ、机の上に鎮座している黒光りする円筒を組み合わせたような奇妙な装置をかわいい顎で示した。
「ケンビキョーっていうの、それ? すっごいものがあるのね~。長生きはするもんだわ~。さっすが異世界ね~」
視界を拡大する物といえばせいぜい近年発明されたという眼鏡くらいしか知らないイレッサは、彼我の文明の絶対的な差を思い知り、素直に感嘆の声を漏らした。
「でも結局汚い皮膚なんか大きくしてじっくり見てどうするっていうのよ?」
「それは……」
セレネースが口を開きかけたとき、「そっから先は僕が説明しますよ~」という男性の声と共に、ドアが押し開かれた。
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