カルテ87 ハイ・イーブルエルフの密やかな悩み その4

 いつの間にやらイレッサは、図がよく見えるように壁画の側に近寄っていた。そこに描かれる奇妙な建造物の姿が、遠い日の木漏れ日に包まれた優しい記憶の扉を微かに開いた。


「これってひょっとして、伝承に謳われる、全ての病いを癒すという白亜の建物ってやつかしら?」


 取っ掛かりが出来ると後は早かった。イレッサは、もう一度4枚全ての図を順繰りに凝視する。過去の物事に造詣の深い長命な妖精族の男は、なんとなくその壁画の言わんとしていることが理解できたような気がした。


 何か腹部に違和感、もしくは痛みを覚える王が、白亜の建物に出会い、そこに住むといわれる医師に病気を診てもらい、最後に薬か何かを手渡された……ということなのだろう。そして病いが癒えた王は深く感謝し、後世に伝えるように壁画を製作させた、というわけだ。


(いわゆる記念碑的存在? しかしその絵がここに刻まれているってことは……まさか!?)


 いつもは半ばラリっているイレッサの頭脳が一つの結論を導き出しかけたまさにその時である。


 外界の光が一切差し込まない地下の空間に、急に太陽が爆発したかのごときまばゆい白い閃光が彼の背後に生じ、長い影を壁に投げかけた。


「な、なんなの一体!? 敵襲!?」


 慌てふためいたイレッサが、絞りかけの濡れた衣服を放り出して振り返ると、そこには今まさに彼の脳裏を占拠していたものが、まるで想像から抜け出し実体を伴ったかのように厳かに顕現していた。つまり……。


「白くて四角い見たこともない様式の二階建ての家……まさかこれが白亜の建物ってわけ!?」


 外壁に連なるビドロ窓から放射される、明らかに人工的な白色の光輝に褐色の肌を曝しながら、普段あまり物事に対して動じないイレッサは、彼らしくもなく狼狽していた。


「何故いきなりこんなところに……!?」


 必死に脳細胞を総動員して解答を出そうと試みるも、答えは最初から決まっていた。


「あたいを誘っているとでもいうの? そんな、病気なんて風邪もろくに引かないのに……人違いかしら……ん!?」


 突如、イレッサは驚きのあまり一時的に忘れかけていた足裏の掻痒感が、引いては返す波のように再び押し寄せてきたため、入れ墨だらけの顔をしかめた。


「もしかして、こいつをわざわざ治してくれるってこと? 確かにとっても困っているけど、そんな命に関わる代物でもないんだけどね〜。これであたいの一生分の運を使っちゃったのだとしたら、運命神のカルフィーナちゃんもあんまりなことしてくれるわね〜。今度ガイトニル山脈にあるって噂の総本山にでも行って文句言っちゃおうかしら? ま、別にいいけどね……」


 彼は側に落ちている衣服を手に取ると、ポツポツと水滴を滴らせながらも、最初からそこにあったかのように大広間の中央にでんと構える未知の存在に向かって一歩一歩進んでいった。



「いらっしゃいませ、ユーパンからのお客様ですね?」


 赤毛の受付け嬢セレネースは、玄関に水たまりを作る来訪者に対しても嫌な顔一つせず、無機質に問い質した。上半身裸で奇抜な色のモヒカン頭をした、あからさまに危険人物的な香りを放っている妖精族は、何の差別的態度も受けないことに、少なからず感銘を受けていた。何しろ初めて入った酒場では、蔑視どころか店主に追い出されることが珍しくなかったからだ。


「ま、そうだけど、あなたってすっごく可愛いわね〜。食べちゃいたいくらいよ〜」


 男女どちらもイケる口の邪悪なハイ・イーブルエルフは垂れていたトサカ頭をピンと立てると、ペロリと舌舐めずりをした。


「では、今から問診票を作成致しますので、あなたのお名前、種族、性別、年齢を教えてください」


「んまっ、イケずね〜。ま、いいわよ〜」


 足の裏についたパン屑ほども相手にされなかったイレッサは、がっかりした風を装ったが、すぐに笑顔に戻ると甘い口調で歌うように返事した……声自体は野太いのだが。


「名前はイレッサ。種族はちょいレアなハイ・イーブルエルフってやつよ。希少種っていうの?


 一応男性で大事なものはまだ取ってないわよ〜。特別に見せてあげてもよくってよ。年齢は156歳だけど、これでも村の中じゃ若手なのよ〜」


「いろいろ要らない情報をありがとうございます。それでは現在お困りのことを教えていただけますか?」


 何があろうと冷静沈着を維持し続けるセレネースは、セクハラ紛いのイレッサの自己紹介にもどこ吹く風で、司祭のような口調で問診を行った。


(なかなか一筋縄ではいかない小娘ね……落としがいがあるわ〜)


 極悪なハイ・イーブルエルフは心中で燃えるものを覚え、目を輝かせた。

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