カルテ85 ハイ・イーブルエルフの密やかな悩み その2

 孤高の種族ハイ・イーブルエルフは、神々に限りなく近いとまで謳われる伝説の妖精族で、ザイザル共和国の辺境の最も深い森に住むと言われていた。そこには古代文明の寺院遺跡が散見される聖域でもあるが、凶暴な魔獣が数多く潜む恐るべき魔境であり、一般人が敢えて近づくことはなかった。ハイ・イーブルエルフは遺跡を利用して住処とし、小さいながらも村を形成していた。


 なぜかの一族がそんな危険極まりない所で代々生活することが可能であったかというと、高い運動能力や暗視能力はもとより、種族独特の魔法を全員が使用出来たからであった。彼らはまだ言葉も喋れない幼い頃から、村の呪術師の手によって全身に入れ墨が施され、成長するに従って、魔法の特訓を受ける日々を送ることになる。呪文の詠唱により、水や炎、風などを出現させられる段階になると、呪術師の元で更なる修行を積み、やがて才能ある者は強力な魔法を行使し、我が身や他の者を危機から救うことが出来るようになるのだった。彼らは魔法の悪用を恐れたたため、その力の原理や習得方法を絶対的秘密とし、掟によって他の種族との交流を禁止しており、人目に触れることは絶えてなかった。


 そんな閉鎖的な一族の中でもイレッサは異色の存在だった。まだ若手の彼は、魔法の習得や狩りの腕前は優れていたのだが、男性なのに女性のような言葉遣いを好み、奇抜な格好をして周囲の者をギョっとさせ、また、狭い村社会に住むのを良しとせず、広い外の世界に憧れ、村を出ていきたがった。


 血気にはやるイレッサを心配した年長者たちは、かつて気が遠くなるほど昔に村を去ったと言い伝えられる異端のハイ・イーブルエルフの話をして、その者のように下手をすると二度と帰って来られなくなるかもしれないし、思い留まるよう言葉を尽くすも、若さに満ち溢れるイレッサは忠告を馬耳東風と聞き流すのみで、とうとうある晩一人で村を抜け出し、長い旅路についた。


 さて、語りきれないほど様々な冒険をして見聞を広め、数年後ようやく故郷に舞い戻って来た彼だったが、なんと村が焼き払われ、本物の廃墟と化している無惨な有様を目の当たりにして愕然とした。だが、広大な遺跡の中を探索した挙句、ついに生き残った仲間たちを発見し、お互いに涙を流して再開を喜び合った。彼らの話では、なんでもある新月の夜、どこからともなく現れた黒装束の男たちが、村中が寝静まったのを見計らって火をつけ、慌てて寝ぼけ眼で家から飛び出してきた村人たちを不思議な護符で眠らせ、人質にして他の者たちを抵抗させないようにして縛り上げた後、数名を残し、多くのハイ・イーブルエルフをその場で無慈悲に殺害したという。隠れてその残忍極まる殺人現場の様子を伺っていた者たちは、反撃できない悔しさを押し殺し、その場は一旦遺跡の奥に隠れて潜んでいたというわけだった。


 話を聞いて烈火の如く激怒したイレッサは、仲間たちと徒党を組んで遺跡を離れ、憎き黒装束たちの手がかりを探すため、再び旅立つこととなった。そして各地を転々とし噂話を拾い集めた結果、どうやら国内に点在するイーブルエルフの集落が、ポツポツと謎の敵の襲撃を受け、徐々に滅んでいるらしいという事実を掴んだ。生存者や目撃者の数が余りにも少なく、彼らに好意的な人々も限られていたため、情報収集は困難を極めたが、どうもその犯人は黒尽くめの人物であったという話を聞きつけ、イレッサは確信を深めた。


 確かにイーブルエルフは他の種族から差別を受け、嫌われていることが多い。だがそれは謂れなきものであり、別段イーブルエルフが悪さをしているわけではなく、種族全員を滅ぼしてやろうと考える物好きなど、労力ばかりかかって益なきことであるし、早々いるとは思えない。一体黒装束たちの正体はなんなのだ?レイシストの集まりか、または何かの宗教の狂信者か? 謎は深まるばかりだったが、彼は仲間たちと協力し、手分けしてあちこちにある隠れ里的なイーブルエルフの村々を小まめに見張ることにし、何かあったら直ぐにハイ・イーブルエルフにのみ聞こえる呼び子の笛によって集合することにした。


 そんな方向性が見えてきたある日、大雨の中を一人見回りに出かけたイレッサは、とあるイーブルエルフの村に近い崖道でばったり黒装束と出くわし、そのまま追走劇となった、というわけである。

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