カルテ78 新月の夜の邂逅(前編) その1

 符学院で女神竜像の石化が解けて大騒ぎになった同じ夜、ザイザル共和国の辺境にあるセフゾンの森の中、忘れ去られた神の祠の前に、二人の男が馬の引き綱を握りしめたまま、立ち尽くしていた。彼らは漆黒の長袖の上着に同色の長ズボンを身にまとい、おまけに顔面は頭髪まですっぽりと黒覆面で覆われていた。


「遅い! もう集合時間はとうに過ぎているというのに!」


 2人のうち、背の低い猫背の方が、痺れを切らしたように足元の小石を黒い靴で軽く蹴る。


「まぁ、そう焦りなさんな。彼だけは今日わざわざロラメットから来るんだし、多少時間がかかっても仕方ないでしょう」


 背の高くひょろっとした方が、たしなめるように、背の低い方の肩に軽く右手を乗せる。


「だからといって限度があろう! いくら新月の夜とはいえ、朝が近づけば作戦は失敗だ! あのバカ、最近叶わぬ片思いの恋に夢中になるも、うまくいかないので学生たちに当たり散らしていると聞くが、本当に大丈夫なのか?」


 業を煮やした背の低い方は、肩に置かれた相棒の右手を荒々しく払いのけると、底の見えない闇に向かって怒鳴り散らした。


「さすがにそこはわきまえているでしょう。何しろ今夜は久々の任務ですからね。最近魔獣の出現頻度が増えているというし、やつらの仕業に見せかけるには好都合です。大丈夫、すっぽかすような真似はしませんよ」


「だといいが……」


 穏やかで優しげな説得に、沸騰したやかんのお湯のような状態だった背の低い方もやや落ち着き、声量を落とした。夜は次第に更けて行き、どこかでミミズクの鳴く声がした。


「おっ、噂をすれば、お越しになったようじゃないですか?」


 背の高い方が片耳に手を当て、眼を細めて鬱蒼と生い茂った森を見やる。


「うむ……」


 馬の駆け足が、夜風に紛れてこちらに近づいてくるのが、背の低い方にも聞き取れた。

 

「やあ、遅れてすまん」


 ようやく洞穴のごとき森の暗がりから、陽気な声が響いてきた。


「遅過ぎるぞ、この野郎! せっかく俺が貴重な疾走の護符をくれてやったというのに! 特殊護符なんだからな!」


 猫背の男が、接近する馬影にここぞとばかりに吠えまくった。


「まぁ、そう怒るな。ちょっと午後の授業が長引いたんでな。それに今日は、学生たちがバカな悪戯騒ぎを仕出かして、お仕置きしたりなんだりして、色々と忙しかったんだよ」


「言い訳はそれぐらいにしてもう行きますよ、カコージン。馬はここに置いていってください。鳴き声や足音で感づかれるかもしれませんからね」


 背の高い方が近くの木に、馬の引き綱を結びつけながら、遅れてきた男に低い声で諭す。


「わかりましたよ、オダイン先生。あっ、護符代は後でちゃんと払うからな、リントン」


「別に期待してねぇからいいよ、カコージン。ヅラ代で結構物入りなんだろう?ケケっ」


 リントンと呼ばれた小男が、小馬鹿にしたように遅刻野郎をあざ笑う。


「な、何言ってんだよ! これはヅラなんかじゃねぇって!」


「お前のところにも白亜の建物とやらが現れて、増毛してくれたらいいのにな、ヒャハハハ」


「二人とも遊んでないで早くしなさい。ぐずぐずして夜が明けてもいいのですか? グラマリール学院長に殺されますよ」


 歩き出したオダインが振り返りもせずに、冷たく忠告を発する。


「「お、おう!」」


 冥界のような夜の森に、カコージンとリントンの声が唱和した。



「それにしても今回は急過ぎるよな。おかげで俺は学院を休めず、当日駆けつける羽目になったし……」


 まるで獣道のような小道を進みながら、真ん中を歩くカコージンが、ぶつぶつふて腐れる。


「そういうこともありますよ。我々下々の者にはあずかり知らぬ諸事情によるんでしょうね」


 先頭をずんずん行くオダインが、器用に木の枝を避けながらたしなめる。


「そろそろ導師会議の議長選が近いから、やっこさん焦っているんじゃねぇのか? どっかから要請があったのかもよ、ケケっ」


 最後尾をついてくる小柄なリントンが、先ほどの不機嫌も忘れて楽しそうに会話に参入してくる。


「議長ねぇ……もう十分過ぎるほどやっただろうに、あの人……いや、本当に人なのか、リントン?」


「俺にんなことわかるかよ、カコージン。学院長の仮面の下は誰も見た者はないって噂だしな」


「でもすごく長生きなのは確かだろう? 俺の親父が学生の時も今のままだったし、それよりもずっと前から学院を治めているって話じゃないか。大方魔獣かなんかの化け物じゃないのか?」


「あまりグラマリール学院長のことを詮索しない方が良いですよ。ある日突然あなた方に不幸が訪れても知りませんからね」


 オダインが、会話に夢中になっている二人をやんわりとたしなめる。


「「は、はい……」」


「さて、そろそろ目的地に着きますよ……ベルソ村に」


 同時に謝る彼らに対し、オダインは口元に指を当て、静かにするよう注意した。

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