カルテ77 少年とリザードマンと総身脱ぎ その8

「オレ、ひょっとしたら、その子の願い、叶えられるかもしれない……」


 オルセノンは、小さいが、重みのある声ではっきりと告げた。


「ええっ、ど、どうやってですかぁ〜!?」


 本多はつい、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「どうしたの、伯父さん?」


 キョトンとした表情で、熱や倦怠感もどこかに吹っ飛んで行った少年が問いかける。


「いや〜、このリザードマンのオルさんがお前の花見がしたいって願望を実現してくれると仰っているんだが……」


「すまんが、オラの身体に水をかけてくれ……」


 唐突なオルセノンの頼みに、本多は頭の中を疑問符でいっぱいにしながらも、「はいはい」と言いながら、室内に置いてあった霧吹きを引っ掴むと、彼の身体にくまなく吹きつけてやった。


「……よし、それではいくぞ!」


 小柄なリザードマンは全身の筋肉に力を込めると、大きく身体を逸らし、鋭い爪の生えた両手で皮膚を掻きむしった。白くきらめく鱗屑のごとき皮が、一枚、また一枚と、彼の身体から剥がれて、ひらひらと舞い落ちていった。その数はどんどん指数関数的に増えていき、やがて部屋中を白銀の嵐が吹き荒れた。


「「ああ……」」


 本多と藤五は思わず同時ため息を吐いてしまった。脱皮という、あまり綺麗とは言えない生理現象だと頭では分かっているのに、心はこの景色を美しいと褒め称えていた。一匹のリザードマンがあたかも一本の節くれだった桜の木となり、風花のごとき桜吹雪を現出せしめている。これを美と呼ばずしてなんと呼ぼう! 


「綺麗だ、素晴らしいよ、リザードマンさん! こんなの初めてだよ!」


 感激のあまり、少年いつしか喉を嗄らして雄叫びを上げていた。膨大な白い皮膚片は季節外れの粉雪のように、いつまでも彼らの上に降り続けていた。



「あの後掃除が大変だったってセレちゃんに散々愚痴をこぼされたけどね〜、あの時の一枚が偶然財布の中に紛れ込んじゃってたってわけか〜。こりゃ、白蛇の抜け殻よりもご利益あるかもね〜、ありがたやありがたや」


 不思議な過去を思い出しながら、本多は知らず知らずのうちに頬を綻ばせた。


「なんだかわかりませんが、とにかく早く四階に行ってくださいよ、先生……ふぁ、ふぁ、ふぁっくしょん!」


 本多と立ち話している場所がエアコンに近すぎたせいか、ついに村井雫は大きなくしゃみをしてしまった。


「あらあら、風邪ひいちゃってるの、雫ちゃ~ん、医療従事者は常日頃からちゃんと体調管理しないとダメだよ~」


 ここぞとばかり、楽しそうに哀れな看護師をからかいながら、本多の瞳に嗜虐的な光が宿った。


「あっ、そうだ! ちょうどいい薬が目の前にあるじゃないか、お嬢さん!」


「いったい何のことです? 本多先生の汚いハゲ頭しかないじゃないですか」


 ハンドバッグからティッシュを取り出そうとした雫は、腐れ上司をジト目で睨んだ。


「だからこの頭をなめなめすればいいんだって! ほら、落語の『やかんなめ』で持病の癪で苦しんでいるお嬢様が、発作を治めるためにお侍さんのスキンヘッドにかぶりついたように……」


「癪と風邪はまったく違います! このセクハラ医者め!」


「ぎゃああああああああああ!」


 思わず雫は側のマネキンの固い顔面を本多のてらてら光る頭部に叩きつけていた。



 おそらく、落語の下げと同様に盛大に出血したと思われるが、それはまた、別の話。

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