カルテ73 少年とリザードマンと総身脱ぎ その4

 総身脱ぎとは、リザードマンが脱皮する時、身体の皮膚をまるで着ぐるみでも脱ぐように、一発で綺麗に全て剥がれ落ちることで、そのようなことが出来る者は、一人前の大人として認められ、様々な特権が与えられた。ちなみに総身脱ぎした後の皮は、乾燥させると白い光沢を帯び、人間たちの間では壁の飾りなどに重宝され、結構な値段で売買されるとのことだった。


 物々交換を旨とし、貨幣経済からは縁遠かったリザードマンの中にも、たまに訪れる人間との取り引きのために総身脱ぎした皮を大事に取っておくものが現れ、密かに金銭なるものを蓄えているという噂まであった。あんな古皮、昔は脱いだ直後におやつ代わりにバリバリ食べてしまったものを、時代は変わるものよ、と長老はこれまた愉快そうに語っていたものだ。


「オラ、もう卵から孵ってだいぶ経つのに、大人になれない……」


 オルセノンは黄昏れ時から夜に移行しつつある湿原に一人佇み、悲しく呻き声を上げた。一人前として認められず、仲間から蔑まれ、誰の役にも立たないのが、まだ若い彼には非常に口惜しかった。しかしいつまでもこうして感傷に浸っているわけにもいかない。


 そろそろ長老の長時間かかる脱皮も一段落した頃だろうし、ほら穴に戻ろうかと踵を返したとき、今まで見たこともない奇妙な物体を暮れなずむ湿原の一角に認め、オルセノンは目を見張り、舌が喉に張り付きそうになった。


「あれは……確か、長老の言っていた……白亜の建物!」



「いらっしゃいませ、ユーパンからのお客様ですね?」


 茶褐色の硬そうな皮膚に覆われ、草の蔓で編んだ短ズボンのみを身につけた、トカゲのような頭部をした異形の来訪者を前にしても、本多医院の守護神こと受付け嬢セレネースの冷静沈着な態度は、いつもとなんら変わったところはなかった。


「シューっ……」


 オルセノンは生まれて初めて目にする珍しい物全てに圧倒され、緊張のあまり口から変な音を立てながらも、かろうじて頷くことだけは出来た。人間は、前述の通り、部族の集落に不定期に現れる総身脱ぎの皮狙いのオスは見たことがあったが、目の前の赤毛のように、髪の毛も長くなければ、小柄でもなかった。これが、噂に聞く人間のメスなのだろうか? もっとも、小柄といっても身の丈はオルセノンと同じくらいなのだが。


「では、今から問診票を作成致しますので、あなたのお名前、種族、性別、年齢を教えてください」


「ハァ……」


 セレネースの決まり文句に対し、一瞬躊躇したオルセノンだったが、長老の教えてくれた言伝えを思い出し、自分の脱皮の悩みについて何か手助けしてくれるかもしれぬと考え、ここは一つ、素直に従うべきだと決心した。


「オラはオルセノン、リザードマン、オス、12さ……」


「なに、リザードマンだってぇ!?」


 みなまで言い終わらないうちに、急に大声を上げながら、診察室からヨレヨレの白衣を着たモジャモジャ頭の男こと、本多医師が飛び出してきた。どうやら今までこっそり会話を聞いていたが、我慢できずに辛抱たまらなくなった様子だった。


「本多先生、問診の途中で邪魔しないでください」


 蔑むようなセレネースの視線と声にもめげず、本多は抱きつかんばかりの勢いで、「まあまあまあまあ」と言いながら怯えているオルセノンの前に駆け寄ると、頭の上から尻尾の先まで舐めるようにジロジロと眺め回した。


「いや〜、当院にはありとあらゆる種族の方が受診されるんですけど、リザードマンの方を診るのは初めてでしてね〜、今後の参考のためにも、是非詳しく拝見させていただけませんか〜?」


「シューっ!」


 あまりに無礼千万過ぎるモジャモジャモンスターに対し、オルセノンの危機感がMAXになり、ヤカンが沸騰したような警戒音を立てると、しなやかな尻尾を鞭のように振り回した。


「ぐぼぁぁぁっ!」


 胸部を強打され、豪快に吹っ飛ばされてソファに頭から突っ込んだ本多が、奇声を発する。


「セレちゃん、見てないで助けてよ! 抜けないよ!」


「まぁ、今のは明らかに先生が悪いですけどね。ていうか一度死んでください。で、オルセノンさん、どういったことでお悩みですか?」


 目の前の惨劇に眉ひとつ動かさぬセレネースが、何事もなかったかのように機械よりも感情のこもらない声で問診を続けるため、我に返ったリザードマンは逆に戸惑っていた。

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