カルテ69 人狼の秘湯と幻の月 その5
テレミンが小屋を飛び出してから一時間後。
「皆さん、用意が出来ましたよ。いただきましょう」
「おおっ、さすがダオニールさん、凄いですね!」
石小屋の前にあるテーブル代わりの平石の上に置かれたカミナリ鳥の丸焼きを目にして、少年は歓喜の声を上げた。カミナリ鳥は深い雪の中でも木の皮や芽などを食べて冬を越すことの出来る、高山にのみ生息する鳥で、慈愛の神ライドラースの使いとされている。年三回羽毛が生え変わり、現在は秋なので黄褐色の羽根で覆われている。ちなみに夏は黒で冬は白だ。丸々と太った鳥肉は脂が滴らんばかりで、香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。
「それにしてもこの鳥、禁鳥らしいけど食べちゃってもいいんですかね?」
「確かに神に仕える鳥とは言われていますが、この想定外の大雪ですし、獲れる動物も限られているので致し方ありません。くちばしが鋼鉄よりも硬く、群れで行動している時は非常に危険で、攻撃を加えたものに対し執拗に反撃する性質がありますが、単体だとこのように簡単に捕まえることができます。それに、内緒ですが……実はこれって凄く美味なんですよ。人狼族の大好物と言われていたくらいです」
「へぇ〜、当人が言うと説得力が違いますね……」
テレミンは思わず垂れてくるよだれを拭きながら、椅子代わりの切り株に腰掛けた。
「それはそうと、私のこの鼻が役に立って、喜ばしい限りです、ルセフィお嬢様」
鳥肉を切り分けている人狼執事が、同じく着座している少女に話しかけた。
「ええ、さすが私の匂いをあの別荘で嗅ぎ分けただけのことはあるわね。あなたの鼻はユーパン一よ」
「いえいえ、それほどでも……」
「それって褒め言葉なのかなぁ……?」
少年が複雑な顔をする。ちなみにルセフィの面前には、先ほどの透明な袋に入った黄色い液体があたかも料理のように置かれている。ダオニールの鋭敏な嗅覚によって、中身が人間の血液であることが推測され、彼女が差し込み口から一口吸って確認したところ、間違いないことが判明した。輸血用血漿製剤……かつてバンパイア・ロードのリリカが本多医院で味わったことのあるもので、魔力を失った吸血鬼にとっては貴重な回復薬でもあった。
「きっとこれに関しての説明を書くのは忘れたか、見ればわかるだろうと思っちゃったんだろうね、あのモジャモジャ頭のお医者さんは。それに、強大な魔法を使わなければ別に必要ないし」
少年が、美味しそうにチュウチュウと輸血パックをすする新米吸血鬼少女に対し、自分の推測を述べる。
「多分そういうことでしょうね。でも、久々にあなたたちと食事を共に出来て、ちょっと嬉しいわ」
気力がみなぎってきて調子が出てきたためか、ルセフィが珍しく上機嫌で本音を吐露する。
「食事というものは、皆で揃ってするのが一番なんですよ。さっ、我々は焼き鳥をいただくことにしましょう」
ダオニールが、自分とテレミンの前に大きな木の葉に盛った湯気の立つ鳥肉を並べる。
「凄い! 塩を振っただけなのに滅茶苦茶美味しいですね!」
「でしょう? 今の秋口の時期が最も脂が乗って食べ頃なんですよ。冬の護符騒動のせいで、ちょっと例年よりは痩せてましたけどね」
「これでも痩せてる方なんですか?」
「なんだか話を聞いていると、私もちょっとだけ食べたくなってきちゃうわね……まぁ、こっちがとても美味に感じるからいらないけれど」
三人の和やかな会話や笑い声が、深夜の山中に木霊する。相変わらず月も星も見えない真っ暗な夜空だったが、こんなに楽しげな雰囲気になったのは、旅に出て以来初めてだった。
「よし、じゃあ場も温まってきたことだし、ここで一発僕が大魔法で、ルセフィのために月を呼び出してみせるよ!」
酒も入ってないのにホロ酔い気分の少年が、右腕を曲げて胸の前に当て、大げさにお辞儀をしてみせる。
「おっ、そりゃあ楽しみですね、テレミンさん。是非とも拝見したいものですな」
「ど、どうしちゃったのよ、テレミン! そんな凄い魔法の護符なんて持ってたの?」
やんやと囃し立てるダオニールに対し、ルセフィは慌てて黄色い血液を口から吹き出しそうになった。
「そんな気象を操るような護符はルーン・シーカーでもないので持ってないけどね。ただ、ルセフィの黒い袋に入っていた護符を、一枚貰えるかな? 別に無くなってもよさそうなやつだよ」
「い、いいけどどれなのよ?」
傍らに置いてあった袋を手渡しすると、少年は中からレモン色の札を一枚取り出した。
「それって、ごく普通の光の護符じゃないの?」
「まあ、見ててよ」
テレミンは自分の両の手のひらを組み合わせて円を作ると、それをテーブルの上の護符に置き、深呼吸をした。
「イフェクサー!」
解呪の詠唱とともに、丸い光の束が札から放出され、天へ向かって伸びていった。
「「す、凄い!」」
人狼と吸血鬼は、共に叫んだ。なんと光線はそのまま虚空へと消えては行かずに、上空を覆うガスに当たって満月のような円形の光の像を結んだのだ。
「ガスがそれほど高くなければ、真夜中にこうやって光を当てればまるで天井に投射したようになるんですよ。面白いでしょう?」
「なるほど、山頂で雲や霧に人間の影や光の輪が浮かぶ現象と似たようなものですな」
高山のことに詳しいダオニールが、感心したように鼻を鳴らす。
「素敵……ありがとう、テレミン」
早くも効力が消えて薄れ行く幻の月を見上げながら、少女がため息とともに礼を述べたため、テレミンの顔は茹でタコみたいに赤くなった。
(月が見たくなったらいつでもまた見せてあげるよ。だから、ずっと一緒に……)
少年は胸中で言葉にできない想いをつぶやくと、再びお辞儀をして、夢に見ているような儚い存在の月を消した。
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