カルテ64 符学院の女神竜像 その18

 エリザスは蛇のような長く赤い舌でひと舐めして唇を湿らすと、大音声を張り上げて学生たちに呼びかけた。


「つい先ほど、魔竜エレンタールを石化していた護符の効果が切れて復活してしまったの。でも、こんなこともあろうかと先生が数年かけて作成し、この前完成したばかりの石化の護符があったため、再びやつを石化し、破壊することに成功したのよ。ちなみにさっきの大合唱は、先生が昔グルファスト王国に滞在した時、王子様を助けたお礼にもらった爆音の護符を、魔獣の気を引きつけるために使っただけよ。とにかく、今は危険だから建物から出て来ないでね!」


 よく通る滑らからな美声の効果があったのか、それとも普段の人気のおかげか、学生たちの混乱は彼女の演説によって収束し、徐々に鎮静化していった。


「さ、さすがエリザス先生……無理のない設定で見事に皆を言いくるめたわね」


「そうですか? 私は結構苦しい説明だと思いましたが……」


 勝手に評価する二名の女学生の方向へ、下着姿で震えているソルを従え噂の女教師は静々と歩み寄り、「良かった、無事だったのね、二人とも!」と笑顔を見せた。


「先生! 死にかけたけど大丈夫です!」


「本当に私が助けなかったらどうなっていたことやら……」


 出迎える対照的な学生たちを軽くハグしながら、麗しい女教師は本多の方を向いて、一礼した。


「ホンダ先生、先ほどは大変な目に合わせてしまって、誠に申し訳ありませんでした。こんなことを頼める筋合いではないのですが、どうか、あたしの治療を今しばらく続けてお願いできませんか?」


 本多は片手で後頭部を押さえながらも、ニヤリと微笑んだ。


「いいですけど、髪の毛の分も含めて、ちと高くつきますよ〜?」


「全く大人気ないんだから……」と背後でセレネースが冷たく突っ込む。


「そ、そんなにお金は持ってないんですけど……給料は皆お酒に使っちゃって……」


「どんだけ飲んでるんですか先生! もういいです! ハンマーの件は僕の責任でもあるし、実家から持参した美術品や、僕の予備の爆音の護符を差し上げますのでこのダメデューサを是非治療してやってください!」


「ば、爆音の護符ってことは、ひょっとしてあんた……!」


 さすがに鈍感なお転婆娘も可愛い目を丸くする。


「やっと気づいたんですか、プリジスタ……」


「ええ、そうですとも。このグルファスト第三王子ことソリタ・アーガメイト・グルファストからのお願いです!」


「しええええええええええええ〜!」


 プリジスタは気絶した。



 彼女が自室のベッドで気持ちよく目覚めたとき、全ては終わっていた。


 同室のリオナのベッドはもぬけの殻となっており、彼女の荷物も一つ残らず消え失せていた。なんでもその日の朝、彼女は自ら退学希望の書類を事務所に提出し、そのまま符学院を後にしたという。また、同日の早朝、もう一人学院から姿を消した人がいる。誰あろう、エリザス先生であった。彼女は、『女神竜が復活して、庭園を破壊したのは自分の責任でもあるので、辞職します』という書置きを残し、いずこへともなく去っていったそうだ。


 人々は、「学院の建物の被害はせいぜい窓ガラス一枚のみであったのに、そこまで責任を感じなくてもいいのに」「ひょっとして、他所に男が出来たのではないか」などと噂しあった(ちなみにそんな話を聞いた後、カコージン先生の機嫌は非常に悪かったという。そういえば身体を痒がっていたが、庭園で虫にでも刺されたのだろうか?)。だが、二人の学生……プリジスタとソルには、彼女が姿を消した真の理由がわかっていた。


「きっともう一人のお姉さんと決着をつけるため、旅立ったに違いないわ」


 午後の眠たげな空気が蔓延する教室で、プリジスタは性懲りもなくソルにささやきかけた。


「おそらくそうだろうね。ここで彼女がすることはもう何一つ残ってないから……それにしても、授業中に話しかけるのはやめてってば」


「何よ、私を見殺しにしてぺしゃんこにしようとしたくせに! おかげで胸が小さくなりそうだったわ! こうなりゃ責任とってもらうわよ、王子様!」


「だからあれは僕のせいじゃなくってエリザス先生が悪いんだって! それに元からぺしゃんこな胸のくせに……」


「なんですって、この山猿の大将が!」


「そこ、うるさいぞ!」


 カコーンという音と共に、今日もカコージン先生のチョーク投げの技が冴えわたった。

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