カルテ60 符学院の女神竜像 その14
闇夜に浮かび上がるように白く輝く箱型の建物をバックに、触手のごとくうごめく無数の蛇を頭から生やした女教師は、なんとブラとパンティの下着姿のまま仁王立ちしていた−最も、左手で両眼を覆い隠してはいたが。
「先生、出血はもう治ったんですか? ハァハァ」
プリジスタは後ろをチラ見し、つい舌舐めずりしながら荒い息を吐いた。
「おかげさまで一時的に止まったけどね。それよりあんたたち、こっちなんか見ないで目を閉じなさい!」
「「は、はい!」」
符学生二名は慌てて双眸に瞼を下ろすとすり足で花壇をじりじりと後ずさりする。幸い魔竜は未だ動きだす様子はなく、悠久の時を経た古代遺跡のようにその場に立ちすくんだままだった。
「エレンタール姉さん、復活早々悪いけど、再び石に戻りなさい!」
エリザスは速やかに顔面にかざした手を引っ込めると、魔眼を炯々と見開き、遥か高みにある実姉のかんばせを貫けとばかりに凝視した。まるで両者の間に数千本の電撃の槍が行き交ったかのように、空間に目に見えぬ衝撃が明らかに駆け抜けていった。しかし……
「ああ、失敗だわ! 想定しとくんだった!」
「ど、どうしたんですか、先生!?」
いつの間にやら匍匐しながら庭園を後ろ向きに進んでいるプリジスタが、砂利を噛みそうなぐらい地面に顔を近づけたまま呼びかける。
「姉さんのやつ、小癪なことに、あんたたちと同じように、瞳に蓋しちゃってるのよ! 学習したわね!」
「「しえええええええ!?」」
今日何回目かわからぬプリジスタとソルの叫び声が、夜の庭園のしじまをつんざいた。
「どどどどどーすんですかエリザス先生!? 無敵のメデューサパワーで何とかならないんですか!?」
「だから無敵じゃないって、プリジスタ。残念だけど先生魔獣っていう割には攻撃力は人間並みでね、一点特化型なのよ。旅の途中でうっかりモグラ獣人の巣穴に落ちたら、彼ら視力なんて一切ないから危うく殺されかけたことだってあるくらいよ」
「使えねぇ!」
「ちょっとソル、ひどいんじゃない? きっと口からお酒を吹いて引火するくらい出来るわよ!」
「先生大道芸人じゃないんだから無理よ! 吐けるのはせいぜい血とゲロくらいよ」
「更に使えねぇ!」
三人が呑気にコントを繰り広げている間にも、美しき魔竜は徐々に青白い輝きを増し、まるで準備体操のように、猛禽類に似た翼を付け根からゆっくり動かし始めた。
「まずい! 飛んで逃げるつもりだわ、エレンタール姉さん!」
「そ、それはかなりヤバいわ! 先生も空中飛行出来ないんですか?」
「30㎝くらいならジャンプ出来るんだけど……」
「僕より少ねぇ!」
すでに敬語を忘れたソルが匍匐後進しながら全力で突っ込みを入れる。
「もうこーなったら石でも投げるくらいしかないんじゃない? くそ、私の愛用の弓矢さえあれば……」
「それくらいであの固そうな鱗を突き破ることができれば苦労しないんだけどね……」
「何よ、口だけ少年、文句ばっか言ってないであんたもなんかいい案を出しなさいよ!」
「そんな急に思いつかないよ!」
不毛な言い争いを続けているうちに、今や全身に生命力を溢れんばかりにみなぎらせた狂悪な生物は、バキッと音を立てて大地を蹴ると、全天の星辰を覆い隠すほど大きく両翼を広げ、地面に叩きつけるように羽ばたいた。
「「「ブオァっ!」」」
たちまち地上は膨大な砂埃が舞い上がり、誰も立っていられないほどの突風が吹き荒れ、竜巻でも直撃したかのような有様となった。そんな下界の騒ぎを尻目に、巨大な竜は優雅に長い首を揺すりながら、ゆっくりと地表から遠ざかっていく。もはや誰にも軛から解き放たれた怪物を再び捕縛する術はないかと思われた。
「こ、このままでは符学院が……いえ、ロラメットが滅んでしまうわ! 先生、本当にもう何一つ打つ手はないんですか!?」
強張った表情のプリジスタが、思わず顔面を上げそうになるのを堪えつつ、大声で問いかけた。
「そ、そうね……」
病み上がりの女教師は、何とかふらつく身体をしゃんとしながら、頭を最大限に働かせた。必ず何か解決策はあるはずだ、何か……。
「せめて、一瞬でもいいからエレンタール姉さんが目を開けてこちらを見てくれるならば、即石化出来るんだけど……方法が思いつかないわ……」
天を仰いで長年の宿敵を睨めつけながら、エリザスは悔しそうに歯軋りをした。
「それだ!」
突如、地面に伏せていたソルがガバッと起き上がると、なるべく前を見ず、足元だけを凝視しながら、職員宿舎入り口目がけて走っていく。
「ど、どこに行くのよ、ソルくん!?」
「大鐘楼です!」
黒い疾風のように庭園を駆けながら、少年は背後に言い捨て、建物の中に飛び込んで姿を消した。
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