カルテ55 符学院の女神竜像 その9

「なるほど、つまりエリザスさんが石化を解くと、それまでに石像にされた生物が全て元に戻ってしまい、よってここの庭園にある魔竜像が再び暴れ出す恐れがあるため、解除するのは難しい、とこういうわけですね?」


「はい……申し訳ありません」


 ゴボゴボと未だに吐血を続けながらも、エリザスは受付嬢がいると思われる方向に向かってひたすら頭を下げた。


「……ということでしたら、治療が終わった後、石化を解き、直ぐに女神竜像のところへ行って、再度石に変えてしまえば何の問題もないのではありませんか?」


「それはナイスなアイディアだわ!」


 プリジスタが満面の笑みを浮かべつつサムズアップする。


「そう上手くいきますかね……それに、お医者さんが動けなかったら、そもそも治療ができないのではないですか?」


 沈痛な表情のソルが、至極もっともなことを述べる。


「そうですね、食道静脈瘤破裂は先程も申しました通り、過量飲酒などによって肝臓が繊維化する肝硬変などの肝臓の異常により肝臓に入る血管……門脈の圧が高まり、血流が逆流することによって食道の中の静脈が太くなり、隆起して静脈瘤となって、破れることによって生じます。よって治療するときは、上部消化管内視鏡という、口から挿入する細長い機械を使って治療するのですが、それは医師にしか扱うことが出来ません」


「で……でも、今この状態で石化を解くわけにはいかないのよ! そんなことをすれば、この場にいる全員が即殺されてしまうわ!」


 無常ともいえるセレネースの断言に対し、エリザスがまさに血の叫びを吐いた。


「先生の言う通りよ! 特に庭園のすぐそばの宿舎にいる学生たちが危ないわ!」


「うーむ、何か代わりの治療法があればよいのですが……」


 しばし目を細め、思案していたセレネースだったが、ふと何かに気づいたように、漆黒の布袋と化した女教師を眺めやった。


「一つだけ、良い方法があるかもしれません」


「ほ、本当ですか!?」


「ただし上手くいくかどうかはメデューサさん次第です。すいませんがちょっと髪の毛の蛇さんを触らせていただけませんか?」


「ええっ!? まぁ……いいですけど」


 唐突なセレネースの謎の頼みにエリザスは一瞬動揺するも、今までの会話から、この受付嬢が並々ならぬ知識を有していることを認めていたため、すぐに同意した。


「ではちょっと失礼します。そこのお二方はしばらく目を閉じていてくださいね」


 そう前置きすると、セレネースは今や血だらけとなったエリザスを覆っていた黒衣をめくり上げ、慎重な手つきで、ウジャウジャと蠢いている黄金の蛇のうちの一匹に触れた。


「ふむ、実際の蛇とは違って、鱗がなくてややヌメッとした手触りですね。例えるならウナギに近いとでもいうか……ところでこれって自分の意思で自由に動かせますか?」


 冷静な受付嬢の質問に、エリザスは、「そうね、全部を一度に操るのは無理だけど、一匹程度なら集中すれば操作できるわよ」と答えた。


「ちなみにその蛇が見ているものを、自分で同時に視認できますか?」


「結構難しい注文ね……多分可能だと思うけれど、ちょっと試してみるわ」


 エリザスは渋面を作りながらも、大きく息を吸い込み、瞳を閉じた。通常時は、一度に複数の視覚情報が脳に流れ込むと、処理し切れずに混乱状態に陥ってしまうため、頭髪の蛇が見た映像はほぼ無視されている。しかし、エリザスが自ら視覚を封じて精神統一し、特定の一匹にのみ五感を絞り込むことによって、その蛇の視認したものを同時に感じることができ、また、動きを意のままに操ることも可能となった。


「できる……できるわ! バッチリよ! やっぱ私ってやれば出来る子なのよ!」


 長い蛇を自在に振り子のようにぶらんぶらんと揺り動かしながら、女教師は少し自信を取り戻した様子だった。


「了解です。それでは此処ではなんですので、私と一緒に診察室に参りましょう。お連れの方々は、しばらくここでお待ちください。くれぐれもその無様な彫刻を破損しないようお願いします」


「な、何をするつもりなの……?」


 顔を俯けたままのプリシスタが、珍しく気弱な声を発する。


「今からエリザスさんの頭髪の蛇を上部消化管内視鏡代わりに用いて、緊急の止血処置を行います。理論上は可能な筈です」


「「ええーっ!?」」


 符学生たちは驚きのあまり、思わず伏せていた頭を上げそうになった。

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