カルテ54 符学院の女神竜像 その8

「いらっしゃいませ。ユーパンからのお客様ですね?」


 上半身をすっぽり黒いローブで覆われた血塗れのエリザスを誘導してなんとか本多医院の玄関にたどり着いたプリシスタとソルは、やや疲労困憊気味で、感情のこもらない赤毛の受付嬢セレネースの問い掛けに、ただ、「は、はい」と答えるのみだった。


「奇妙なところね………あの天井で光ってる板って護符によるものかしら?」


「さぁ、わかりませんが、違うと思いますよ……」


 少年と少女は遠慮がちに辺りを見回しながら、葉擦れのようなひそひそ声で会話を交わした。


「すいませんが、院内では被っているものを取って頂けませんか?」


「だ、ダメです! 彼女はメデューサなんですよ! もっとも酒飲みで、血を吐いてるので、治療して頂きたくて来たんですけど……」


 急にセレネースの声が女教師にかけられたため、ソルは慌てて説明した。


「なるほど、飲酒のし過ぎによる食道静脈瘤破裂ですね。それではメデューサなのも致し方ありません。さっさと脱いでください」


 氷の如き受付嬢は眉一つ動かさず冷淡に繰り返す。


「だからメデューサだって言ってるじゃないのよ!」


 らちがあかないと思ったのか、プリジスタも会話に乱入してくる。


「ええ、それはわかりますが、お姿が見えないことには診察も何も出来ませんし……」


「わからない人ね! そんなことしたら大変なことになるわよ!」


「なんかさっきから会話が空回りしているような気がするんだけど……」


 ソルが言いかけた時、「どうしたどうしたどうした〜?」と、診察室のドアが開いて、モジャモジャ頭の白衣の男こと、本多医師がのっそりと登場した。


「んも〜、セレちゃん、患者さんと喧嘩しちゃダメじゃないの〜。そんなんじゃ先生もセレちゃんみたいに白衣の下は全裸になっちゃうよ?」


「意味不明なことを言わないでください。別に喧嘩ではなく、食道静脈瘤破裂の患者様が、メデューサなので姿が見せることが出来ないと仰られているのです」


 無機質な声にやや殺気を忍ばせて、セレネースはセクハラ上司に報告した。


「あ〜、なるほどね〜、腹壁静脈瘤のCaput Medusaeが見られちゃうのが恥ずかしいってわけね〜。確かに若い女の人ならそうだろうね〜。でも、今は緊急事態だし、診断や治療のためには必要なのよ〜。というわけで、ちょっと失礼しますね〜」


「「ああっ!」」


 プリジスタとソルが止める間もなく、呑気な医者は、エリザスを覆う黒衣に手をかけると、バッと剥ぎ取り、中を覗き込んだ。


「ギャーっ、やり直しを要求するーっ!」


 咄嗟に目を閉じた符学生たちは、幸い変化することはなかったが、奇妙な叫び声を発した後、本多医師はしゃがみこんだ態勢のまま、やけに頭の部分が重そうな石像と化してしまった。


「ああ、そういう意味だったんですか……」


 ただ一人、セレネースのみが、真正面から異形の女教師を見つめていた。どうやら納得した模様だ。


「あ、あなたはなぜ私の瞳を見ても石化しないの?」


 メデューサは自分の魔眼に映る赤毛の女性の何食わぬ姿に、心底驚いていた。


「詳しいことは申し上げられませんが、私には状態変化系の攻撃は無効なのですよ。しかし、まさかメデューサがあるメデューサだったとは……」


「ひょっとして、あなた方が言っていたメデューサって、私のお腹のこれのこと?」


 急いでローブを頭から被り直しつつ、エリザスは自分の腹部の醜い盛り上がりを指差し無傷の受付嬢に質問した。


「ええ、それは飲酒による肝臓の障害によって肝臓の血管が閉塞したことにより、代わりに腹部の静脈が怒張することによって生ずる腹壁静脈瘤のCaput Medusae(メデューサの頭)と呼ばれるものです。臍を中心として周囲に伸びていく膨らんだ静脈が、まるでメデューサの頭のように見えることから名付けられたのです」


「それで意思疎通が上手くいかなかったわけですね……」


 未だに固く瞳を閉ざしたままの少年が、得心がいったと言わんばかりに頷いた。


「もう目を開けてよろしいですよ、皆さん。それにしても先生が固まってしまったのには弱りましたね。これって直ぐに元に戻せますか?」


 微塵も弱った様子を感じさせないセレネースが、不恰好な置物状態の医師を一瞥する。


「……」


 言葉に詰まった患者側の三人は、無言で首を横に振るしかなかった。

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