カルテ50 符学院の女神竜像 その4

 その夜、九時を少し過ぎた頃、プリジスタ、ソル、リオナの三人は、とある手土産を携え学生宿舎をこっそり抜け出し、教員宿舎の一階にあるエリザス先生の自室を訪れた。


「あーらよく来たわね、悪ガキトリオ、いらっしゃーい」


 すでにルミエール産の赤ワインの入ったビドロ製のコップを片手に持ち、床の上の皿に盛ったハムとチーズを肴に一杯引っ掛けていた悪徳女教師は、ほんのり桜色に染まった横顔をほころばせ、彼らを歓迎した。ちなみに一応机はあるものの、本だの護符だのが散らばっており、新たに物を置けるスペースは無さそうだった。


「で、例の物は持ってきてくれたの?」


「はい、ここに!」


 一行のリーダー格のプリジスタが、ソルが大事そうに抱えていた茶色い素焼きの瓶をひったくると、エリザスにうやうやしく差し出した。


「ヒャッハー! これが噂のグルファスト名物・バレリンシロップね! 最近造り手が引退して幻の酒になっちゃったらしくって、一口でも飲んでおくんだったと後悔して枕を涙に濡らす日々だったのよ! 最高!」


 彼女は瓶に頬擦りせんばかりに顔を近づけると、早速栓を抜き放った。


「それにしても、よく僕がこのお酒を持っていることがわかりましたね、先生」


 美味そうに瓶をゴクゴクとラッパ飲みしているうわばみ女に、ソルが半ば呆れながらも話しかける。


「ブハーっ! そりゃ、昔っからグルファストの人が他国に持ってくる手土産といえばエールっていうのが定番だったからよ。この宿舎が禁酒になる前は、結構新入りの留学生が教師に贈っていたって聞いてたしね……もっとも今ではいろいろとうるさくなっちゃって中止になったんだけど」


「それで早めにあそこから出してくれて、僕に恩を売ったってわけですか……やれやれ」


「男だったら細かいことなんて気にしちゃダメよ、少年! いやー、五臓六腑に染み渡るーっ! さっすがドワーフ秘伝の名酒ね!」


 見目麗しい美人教師は、百年の恋も覚めるような大胡座をかいて、豪放磊落に酒を煽り続けた。しかし、そんなダメ人間にキラキラした夢見る瞳で熱い眼差しを注ぐ女学生がここに一人。


「素敵……普段のおしとやかな姿からは想像もつかない女傑振りが素晴らしいわ……これがギャップ萌えってやつかしら?」


「なんか違うよ!」


「プリジスタ、あまり言いたくありませんが、あなたの人を見る目は腐っています」


「何よ、リオナまで! 誰だって飲まなきゃやってられない時があるのよ。ね、そーでしょ、先生?」


「んー、まあね。あんまし人には教えたくないんだけどねー」


 すっかり出来上がった酔っ払いは、長い金髪をだらしなくかきあげつつ、どろんと濁った瞳を生徒たちに向ける。


「ま、あんたたちも一杯付き合いなよ。先生のトップシークレットの昔話を聞かせてあげるからさー」


「やったー、喜んで!」


「だ、ダメだよ、プリジスタ! 今度こそ本当に退学になっちゃうよ!」


「その通りです、ソル。とりあえず我々学生は水だけにしておきましょう」


 気の利くリオナが水筒を何処からともなく取り出す。


「結構用意がいいのね、あんた……てか、話聞く気バリバリあるんじゃないのよ!」


「自分もエリザス先生の過去には興味がありますから。あれだけの魔獣を倒せる護符を作成するワザを何処で学んだのか、とか」


「それは、確かに知りたい……」


 逃げ腰でケツを割りそうだったソルも、いつの間にやら前向きな姿勢に変わりつつあった。


「よーし、じゃあ皆、今日は朝まで飲み明かすわよーっ!」


「おーっ!」


「だから飲みませんって! お話だけですよ! ていうか官舎の他の先生方にバレなきゃいいんですけど……」


「大丈夫です、ソル。今日はオダイン先生は出張で不在ですし、リントン先生は身内に不幸があって里帰りしておられますし、カコージン先生はどこぞに夜遊びに出かけていますし、誰もおられません」


「よく知ってるわね、リオナ……」


「でなければ、わざわざ来ませんよ」


「というわけで、始まり始まりーっ!」


 生徒たちの心配をよそに、飲み会主催者の大虎は勝手に自分の過去を物語り始めた。



「先生ってば実はすごく遠い国の結構名家の生まれなのよ。ま、いわゆる貴族ってやつね。そこではここみたいに符学院はないけれど、有名な護符師を家庭教師に雇うってのが主流だったのね。いわば教育の一環ってやつかしら? 先生には二人の姉がいたけれど、どちらもあまり勉強熱心じゃなくって、護符師の資格は取れなかった。でも、先生は結構素質があって、覚えることが好きだったのもあり、みるみるうちに上達して、師匠を超えるほどの腕前になっちゃったの。


 そうするといきなり嫁の貰い手が引く手数多になっちゃって、親の都合で好きでもない貴族の家に嫁ぐことが決まっちゃったのよー、ひどいでしょ? ちなみにお相手の方は名の知れ渡った騎士で、様々な武功を挙げてきたっていうけれど、正直先生ってば血を見ただけですぐ胸がドキドキしてきてパニックになっちゃうので、そんな血生臭い人なんて全然好みじゃなかったのよー。先生は、まだ結婚なんかしたくなくって、大好物のお酒を飲んで、いろんな男と恋の花を咲かせたいお年頃だったのにね。


 というわけで、式前日の夜にこっそり自宅を抜け出して繁華街に出かけて初めてあった男と意気投合してそいつの家に押しかけて飲み続け、翌日はデロンデロンで家にも帰らず、もちろん式をすっぽかす羽目になっちゃったのよー」


「……」


 拝聴している三人の顔は徐々に引きつってきたが、アル中女教師は構うことなく管を巻き続けた。

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