カルテ47 符学院の女神竜像 その1
「……というわけで、いくら一獲千金のチャンスがあるからといって、絶対ルーン・シーカーなんて馬鹿な真似はするんじゃねーぞ、てめーら。わかったか!」
教室のビドロ窓から差し込む朝日を、油でテカテカに固められた船首のように突き出た金髪で反射しながら、教師のカコージンは眠気に耐えて聴講している黒色のローブを身に纏った学生たちに怒鳴りつけた。黒板には、護符師の心構えや守るべきルール、してはならない行為などの基本的事項が汚い字で書き連ねられている。そう、ここは符学院の一般教室であり、この部屋の生徒たちは、皆入学したての十三歳であった。
「絶対あの髪ずれてるよね、ソル?」
一番後ろの席に座っている亜麻色のショートヘアの少女が、右隣で大人しくノートをとっているやや赤味がかった髪のおかっぱ頭の少年に、ひそひそ声で話しかける。
「まあね……でも、そんなこと言っちゃダメだよ、プリジスタ」
ソルと呼ばれた少年は板書を邪魔されたのが気に障ったのか、やや窘めるような声で囁き返す。
「なんとかして、あの熱血バカのヅラを引き剥がす方法はないものか……ねぇ、リオナ、手先の器用なあんたなら、あいつの金色帽子を気付かないようにこっそり剥ぎ取るって真似は出来ないかしら?」
欠片も授業に集中する様子の無いプリジスタは、今度は左隣でひたすら壇上の教師を凝視している長い黒髪を後ろで縛った少女に向き直った。
「無理です。ていうかそんなことしようものなら即退学になりますよ、プリジスタ」
リオナは髪の毛と同色の瞳をやや細めながら、人に無謀な冒険を勧める美貌の同級生をたしなめた。
「んもー、つれないわねー。ちょっとは協力してよ。あの偉そうなやつが慌てふためく様が見たくないの? 就任したての筋肉ゴリラのくせして、生意気にも私の憧れのエリザス先生に惚れてるだなんて、冗談じゃないわ……」
「そこ、さっきからうるさいぞ!」
「きゃんっ!」
突如、白いチョークが教室を横切り、達人の矢のような正確さでだべっていたプリジスタの額に命中する。
「まったく、お前のようないい加減なのが、将来うかうかと金に目がくらんで命を粗末にするんだ! ちゃんと人の話を聞け!」
「はい……」
涙目になった少女は仏頂面で答えると、それきり可愛らしい口を閉ざした。
ユーパン大陸には珍しい政治形態のザイザル共和国の首都ロラメット。色とりどりの尖塔が立ち並ぶ街並みは美しく、長い歴史を感じさせる。街の外れには、学問の都と呼ばれる所以ともなった符学院が丘の上にそびえ立ち、学院のシンボルとも言える赤屋根の大鐘楼を遠くからでも見ることが出来る。校舎や図書館、実技訓練所、学生宿舎、職員宿舎など、様々な建物からなる広大な施設で、大陸の他の国からわざわざ留学してくる学生も決して少なくない。
封呪や解呪を実践するための校庭に接する緑豊かな庭園には、中央に高さ十メートルはありそうな、巨大な翼の生えた竜の石像が飾られていた。奇妙なことに、鱗で覆われた長い首の上にある頭は、大きな人間の美しい女性のそれで、薄目を開けてぼんやり周囲を見渡しているようであった。
この符学院に勤める女教師のエリザスは、腰まで届く美しい金髪の持ち主で、美神アイリーアも嫉妬するほどの麗しい容姿をしており、更には伝説の魔女ビ・シフロールにも匹敵する魔力を有しているとの噂だった。
彼女が学院を初めて訪れたのは今から数年前、この地を恐ろしい魔獣が襲った時であった。女性の頭部を持つ青い竜は突如ザイザル共和国の辺境に現れたかと思うと、村を次々と破壊しながら凄まじい速度で首都に迫ってきた。街に接近し過ぎたため、強大な魔法の護符は使用が難しく、また、ちょうど国権の最高機関である導師会議のメンバ-でもあるグラマリール院長が、隣国のグルファスト王国との会談に出張中で、ベテランの護符師たちがそれに付き従って根こそぎ不在だったため、学院は混乱の極みにあった。
そんな時、黒いローブを着た一人の女性が通りかかり、ほとんど開放状態となっていた符学院に勝手に入ってくると、建物をなぎ倒しながら突進してきた魔獣と相対した。その現場を遠くから目撃した者の話では、今にも邪竜に叩き殺されそうに思われた彼女がフードを目深くかぶったまま何かを唱えると、たちどころに怪物は固まって、見る見るうちに石と化したとのこと。
救われた人々は救世主たる彼女に深く感謝し、名を訪うた。曰く、彼女はエリザスという名で、遠い国の出身であり、そこで護符魔法を習得したが、この悪しき魔獣・エレンタールに故郷を壊滅させられ、家族を殺されたため、修業をしながら復讐の旅を続け、敵を探し回っていたとのこと、今回使用したのは、彼女が独自に開発した石化の護符だが、長年かけてたった一枚しか造りだせなかったとのことであった。報を受けて急遽帰国した院長は大いに喜び、行く当てがなければ是非ともここに残って教職に付き、学生たちを教授してくれないかとエリザスに頼みこみ、最初彼女はやや渋るも、最終的には同意した。
被害に遭った学院は建て直され、石像の周囲は庭園に整備された。エリザスはもしものことがあってはいけないと、石化した竜を打ち壊すことを進言するも、勝利の記念碑として、また、貴重な魔獣の資料として残すことを支持する者が多いため、希望は通らなかった。だが、その姿があまりに美しいため、いつしか人々は邪悪な魔獣の像を、あろうことか「女神竜像」などと呼び、挙句の果てには、この像の周囲で想い人に告白すると願いがかなうという、根も葉もない噂までもが流れるようになった。
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