カルテ43 山荘と冬の護符と亡霊騎士 その19
「ダオニールさん! もう変態なんて言いませんから死なないでくださーいっ!」
身体に降りかかる霰交じりの雪を払おうともせず、フィズリンが必至でエールを送る。人狼に聞こえたのかどうかさだかではないが、彼は勢いを増すと、先頭を進んでくる鎧武者に体当たりを食らわせた。あまりの衝撃に、古びた鎧がばらばらに飛び散り、中からボロボロの人骨が姿を現す。それも、獣の太い後ろ足から繰り出される神速の蹴りにより、灰の如く崩れ落ちた。その背後から襲い掛かる騎士も、岩のごとき拳の連打で後方に弾き飛ばされた。
「いける、いけますよ、ダオニールさん!」
極寒の中にも関わらず、少年が手に汗握りながら応援する。
「いや、いくら倒しても、亡霊騎士は後から後から湧いてくるぞ。果たして、どこまで防ぎきれるものか……」
一番後ろで観戦している男爵が冷静にコメントし、せっかくその場に生まれつつあった熱気に水を差す。確かに彼の言う通り、最初の十数体は楽にこなしていた人狼も、さすがに疲れがたまってきたのが、徐々にスピードが落ち、身体の動きが鈍くなってきた。このままでは、遠からず、蟻に全身を噛まれて殺される毛虫のごとき最期を迎えるだろうと、誰の目にも思われた。
「伯父さん、なんとかならないんですか!?」
「すまん、多少は武術の心得はあるのだが、今はこんな鈍りきった身体で、山道を登るだけでも大変なのだ」
「ちょっとはダイエットしてくださいよ! 爵位以前の問題で騎士団なんか入れませんって!」
「……わしもあの医者にいろいろと体調について相談すればよかったのう」
「そういう問題じゃないでしょう! こうなりゃ僕が行きます!」
「あっ、待て! こら!」
業を煮やしたテレミンは、男爵の腰の短剣を素早く抜き取ったかと思うと、そのまま雪の中を駆け出していった。
「ダオニールさん、今助けます!」
「テレミンさん、お気持ちはありがたいのですがこやつらはあなたには無理です! 来ないでください!」
孤軍奮闘中の人狼が、荒い息を吐きながら忠告するも、無謀な少年は死地に向かって突っ込んでいった。
「ダオニール、テレミン、そこをおどきなさい! どかねば死ぬわよ」
突如、雪と氷の戦場に、天上の鐘の音のような少女の声が玲瓏と響き渡った。
「「!」」
人狼と少年は、とても聞き覚えのある氷のようなその声に無条件に反射し、命令に従って亡霊騎士から離れ、道を譲った。
「フィオランス!」
朗々とした詠唱とともに、人々の背後から一条の光り輝く電撃が迸り、先頭の亡霊騎士を射ち抜いた。死せる怪物のまとっていた鎧は、あまりの衝撃に一瞬で焼け焦げ、中身の骨もろとも砕け散る。いかづちは目にも止まらぬ速さで、そのまま山道に一列に連なる亡者たちすべてを貫き通し、走り抜けていった。
「あああ……」
あっけにとられた男爵は、瞬く間に動く者が一人もいなくなった山道を見下ろしながら、腰を抜かして雪上に尻餅をついた。
「さすがお母様の造った護符だわ。雷の札を完成させていたという噂は本当だったようね」
一同は館の玄関を振り返る。そこには亡くなったときの白い寝間着姿のまま、黄色い護符を右手に持った、一人の少女が立っていた。
「ルセフィさん!」
「ルセフィ殿、生きておられたのですか!」
テレミンとダオニールは喜びの声を上げるも、他の者は、やや戸惑った表情を浮かべていた。何しろ、彼女の肌は今までと異なって血が通っているとは信じがたいほど青白く変色し、両耳の先も、妖精族ほどではないが、鋭く尖っていたからだ。
「……ひょっとして、君は人間ではなくなったのか?」
ようやく立ち上がった男爵が、異形の存在となった令嬢に恐る恐るささやくように話しかける。
「はい、どうやらそのようです、男爵。あの医者が、今わの際に私に貼ってくれた黒い護符は、吸血鬼に転生するためのものだったようです。この世界には、無生物に命を与えたり、死に直面したものを別の生物に生まれ変わらせる、通常の護符とは異なる、『特殊護符』と呼ばれる非常に貴重なものがあると、かつてお母様の残した日記で読んだことがあります。その製法は謎に包まれていますが、天才と謳われた彼女は、どうやらそんな護符を何枚か製作した模様です。
私が先程この姿となってベッドで目覚めたとき、側に置いてあった黒い布袋に、この黄色い護符と、医師からの手紙などが入っていました。それによると、黒い護符は以前吸血鬼から、黄色い護符は怪しげな老人から治療代替わりに貰ったとのことで、どうやらその老人は魔女と一緒に暮らしていたとのことでした。老人は、魔女は病で死亡したと語っていたそうですが、医師は本当に死んだのかどうかは疑わしいと思うと書いていました。私も同感です。お母様が、病ごときで簡単に亡くなるとは思えません。このように、護符を用いて転生した可能性も高いです。私は今から、世界の果てまでもお母様を探す旅に出かけます。今までどうも、ありがとうございました」
一気にそこまで話すと、少女の姿は、まるで溶け去るように雪原の中へ消えていった。
「ルセフィ、待って! 僕も行きます!」
テレミンが、慌てて彼女の立ち去ったと思しき方向へ向かって駆けていく。
「ご主人様、誠にすいませんが、しばらくお暇を頂いてもよろしいですか? お嬢様とお坊ちゃんを小生がお守りしたいと思いますので」
長らく忠誠を誓っていた人狼が、初めて自分の願いを口にする。男爵は貴族の威厳をもって、鷹揚に頷いた。
「ああ、わしからもよろしく頼む。ようやく雪もやみそうな様子だしな」
「あっ、お月さま!」
ようやく我を取り戻したフィズリンが空を仰ぐと、そこには煌々と輝く満月が、狼の目玉のように雲間から顔をのぞかせていた。
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