カルテ42 山荘と冬の護符と亡霊騎士 その18
結局、ルセフィが再び息をすることはなかった。
彼女の小鳥のように軽い遺体は、薪小屋が壊滅状態となったため、彼女の寝室に運ばれ、ベッドに安置された。それでも腹が立つほど動じない医師は、「ま、うまくいかないときだってありますよ~」といけしゃあしゃあと言い放ち、「それじゃ、僕はこれ以上皆さんのお役には立てそうにないですし、もう帰りますね~。今回は治療できませんでしたし、特に何もいりませんけれど、あの可哀想なお嬢ちゃんに、こいつをお供えしてあげてくださいね~」と、何かが入った小さな黒い布製の袋を男爵に手渡すと、赤毛の助手を引き連れ、吹雪の中へと姿を消した。
残された五人は、とにかく全員食堂に集合して暖炉の前で身体を拭いて乾かし、そのままマントにくるまってまんじりともせず夜が明けるのを待った。誰も眠りにつくことが出来なかった。
「まるで起きながら悪夢を見ているかのような出来事でしたよ……」
テレミンが、薪の爆ぜるパチパチという音にかき消されそうなほどか細い声で、ぼそぼそと呟く。
「結局、彼らが来たのは無意味だったのか……? すべては運命神の悪戯なのか……? それともわしが皆悪いのか……?」
男爵は、急に十も更けたような顔つきになって、ひたすら思い悩んでいる様子だった。
「僕は伯父さんを許しますよ。確かに父さんをはめたことはひどいとは思いますが、あんな罠に引っ掛かる父親もひどいですし、半分は子爵の責任でもありますしね。だから、これ以上はご自分を責めないでください。でも、吹雪が止んだら僕はここを出ていきます」
少年は、先程よりはしっかりとした、芯の通った口調で、暖炉を見つめたまま思いを述べた。
「本当にこの雪は、いつか止むのでしょうか……?」
魂が抜けきった萎びた押し花のような状態のメイドの余計な一言が、一同の不安を煽る。
「止まない雪などありません。さっきはちらりと月も出ていましたし、いずれおさまるはずです。元気を出してちょうだい」
そろそろトイレに行く時間になったためかやや元気が出てきたコンスタン夫人が、隣に座り込むメイドの肩をバシンと叩く。
「しかし奥様、僭越ですが、外の風の音が一段と激しくなってまいりました。それに、雪の臭いに混ざって、何やら奇妙な何かを感じます」
一人暖炉から離れて窓の外を伺っていた人狼状態のままのダオニールが、まるでそこだけ別の生き物のように鼻を蠢かせる。
「こ、これ以上何か来るのか!?」
男爵が悲鳴に近い声を上げる。
「ええ、今度こそ本物のようですよ。この臭いは……錆びた鉄の臭いです!」
「亡霊騎士だ!」
不謹慎ながら、そのとき少年の発したのは、歓喜の唄そのものだった。
「こ、これは……!」
吹雪の中、玄関のドアを開けて再び館の外へ出た一同は驚愕した。辺りの風景は一変していた。そこからは吹雪になる前は、昼間だったら杉林から花畑まで続く曲がりくねった山道が遠望出来るのだが、夜は殆ど闇に紛れて見ることは出来なかった。ましてや最近の豪雪ですべては白く埋め尽くされ、どこに道があるのか誰にもわからなくなっていた。
しかしまさにその山道が、まるで光の川のように青白く輝いていた。山道の両側に蒼い炎が約十メートル間隔で延々と灯っているのだ。炎の道はたぶん花畑のあったであろうあたりを超えて更にこちらに続き、山荘のすぐ横を通り過ぎ、後方の闇の中へと続いている。燐光のように輝く炎はまるで温度を感じさせず、先程天空に見えた月光よりも冷え冷えと周囲を照らしていた。
「な……なんだ、あれはっ?」
更に目を凝らして道の彼方を見ていたテレミンは、そこに奇妙な動くものを発見した。青白い炎の道を、黒い人影が列を作って、無言で登ってくるのだ。彼らは皆、古びた鉄の鎧を全身にまとい、錆びた剣を帯び、顔は兜に隠されわからなかった。いや、顔があるかどうかもあやしい。なぜなら、手甲の下から覗く指先は、白い骨のようであったからだ。
「皆さん、後ろに下がってください。ここは小生が食い止めます」
灰色の人狼が黒い服を脱ぎ捨てると、一歩前に踏み出す。
「あんなに大勢いるのに一人じゃ無理ですよ!」
少年はあわててタキシードを拾い上げ、抗議する。
「そうですよ、ダオニールさん! ひょっとしたらあの団体さん、ここを素通りして頂上まで行ってくださるかもしれないじゃないですか!」
フィズリンも、ガタガタ震えながらも狼の豊かな尻尾を両手で掴む。意外と気に入ったのだろうか。
「いや、文献によると、彼らは生きている人間に遭遇すると、必ず刺殺し、その血肉を食らって更に行進を続けるそうですよ。ここまで接近してきたのなら、もう逃げることはできないでしょう」
テレミンが、恐るべき伝承知識をここぞとばかりに披露する。
「もう話し合っている時間はありません! 先手必勝!」
人狼は一声大きく吠えると、地獄の底から訪れた客人を出迎えるため、風のように突進していった。
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