カルテ41 山荘と冬の護符と亡霊騎士 その17

「ハ、ハ、ハーックション!」


「先生、起きてください」


「さ、さみーっ!」


 ずぶ濡れになって雪原に倒れて気絶していた本多は、同じくずぶ濡れのセレネースに揺さぶられ、盛大なくしゃみをしつつ、意識を取り戻した。


「い、一体全体どうしたっていうんだよ!?」


「あのルセフィという少女が、超強力な水系の護符を解呪したため、我々は皆、水流に飲み込まれてしまった模様です。しかし、さきほどの話を聞いていて思ったのですが、あの少女の母親の魔女とは、ひょっとして、私の……」


「あ~、聞こえんな!! ん~、何のことかな?」


「聞こえているのにごまかさないでください」


「ああっ、白衣の背中に雪を入れないで! ただでさえ凍え死にそうなのに!」


「とにかく、他の人たちを助けましょう。皆さん無事だといいんですけど」


「ふ~む……」


 ぶるぶると震えながらも、なんとか気力を振り絞って、本多は地吹雪が通り過ぎてゆく周囲を眺め渡した。一時的に雲間から姿を現した月の光の下に見たところ、テレミン少年とフィズリンは身体を半分起こして地面に座り込んでおり、男爵夫妻は仰向けに倒れているものの、なんとか起き上がろうとアザラシの様にもがいている様子で、四名とも命に別状はなさそうだった。しかし……。


「お医者殿、すぐにこちらに来てください! お嬢様が!」


 やや遠くの方から、犬の鳴き声にも似た叫び声が吹雪に乗って運ばれてくる。


「ダッシュで向かうぞ、セレちゃん!」


「ラジャー!」


 セレネースは、なんと往診鞄と共に本多をお姫様抱っこすると、雪原を全速力で駆けだした。



「ルセフィ殿、しっかりしてください!」


 医師たちが到着した時、人狼は、その灰色の太い腕にルセフィを抱きしめ、必死に呼びかけていた。しかし少女の瞳孔は徐々に散大しつつあり、心臓の動きや呼吸も弱まりつつあった。


「これってひょっとして……魔力を吸い取られたってやつか!?」


 さすがこの世界の事に通じている本多はピンと来たようで、ダオニールに問いかけた。


「おそらくそうでしょう。先日の父上も、まったく同じように亡くなりました。超強力な護符を、使用に必要な魔力以下の持ち主が強引に解呪すると、死に至るのです。しかし、なんでこんな真似を……」


 いつの間にか背後にいたテレミンが、食い入るように少女を見つめる。


「私は……多くの罪を犯してしまった。レルバック氏の遺体を辱め、大好きなお父様を自殺に追い込み、そして親切なダオニールさんを殺そうとした……これらの悪事がばれなければ、例えどんなに辛くとも、生きていこうと思っていた。しかし結局隠し通すことは出来ず、全て白日の下に晒されてしまった……だから、自ら死ぬことにしたの。お母様にお会いできなかったのだけは残念だけど、どうせこんな身体だし、長生きは出来なかったと思うわ。皆さんには迷惑をかけてしまって……本当にごめんなさいね」


 しばし意識を取り戻したのか、苦しげな息の下から、蚊の鳴くような声で、少女が懺悔する。


「あなたは決して悪くない! こんな緊急事態だったし、仕方がなかったんですよ! だからしっかりしてください!」


 殺されそうになったにも関わらず、人狼が再び彼女を励ますも、摘み取った野の花のように、彼女はみるみる生気を失っていった。


「確かにあなたは十分償いをしました。今後、人間を辞め、生まれ変わって別の人生を歩みたければ、手を貸しますよ」


「……えっ?」


 悪魔のように薄く微笑む本多の思わぬ言葉に、その場の誰もが絶句する。いったい何を言っているんだ、彼は?


「どうします? 迷っている時間はもうそんなにないですよ。これが最後のチャンスです」


 ルセフィはしばし思い悩むような表情をした後、微かだが、はっきりと、こくりと頷いた。


「よし、狼さん、ちょいとそこどいて」


「はぁ……」


 まだ全身濡れ鼠状態の医師は、鼻水をじゅるじゅる啜りながらダオニールを脇へどかし、少女を雪の上に仰向けに横たわらせると、白衣のポケットから夜のように黒い護符を取り出し、「ちょっと失礼」と、服の隙間から彼女の胸元に滑り込ませ、湿布のように貼り付け、耳元で囁いた。


「これはとある人外の怒りん坊の金髪少女からもらった特殊な護符です。さあ、唱えなさい、『リフレックス』と!」


「……」


 口元はすでに喘ぐような下顎呼吸状態となり、心音は途切れ途切れとなり、死が首筋まで迫ってきているのに、彼女は未だ逡巡している様子だった。そう、魔女の血を引く少女は、自分に貼られた札の意味を、身体の奥底で理解してはいた。しかし、自分から死を選んだ者が、再び罪深き生を送っていいものかどうか、心は振り子のように揺れ動き、迷っていたのだ。


「本当はお母さんに会いたいんでしょう、ルセフィさん!?」


 その少年の一声が後押しとなった。彼女は、燃え尽きる間際の蝋燭の輝きでもって、息を吸い込むと、禁呪を唱えた。


「リフレックス!」


 刹那、ルセフィの全身が、闇と入れ替わったかのように真っ黒に「輝いた」。

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