カルテ39 山荘と冬の護符と亡霊騎士 その15

「そうか……あの日体調を崩したのは、深夜から朝までずっとドタバタしていたから、インスリンを注入する暇がなかったためなんですね……」


 テレミンが、試験の正解に気づいた学生のまなざしで、父親の遺体に目を落としていた。


「どうしておっしゃってくださらなかったのですか、そんな業病を患っておられることを!?」


 狼が泣いていた。瑠璃の如き青い瞳から零れ落ちる一滴の液体は、種族は異なれども、明らかに人間の涙と同一のものであろう。


「言ったところでどうなったというの? この危機的状況下で得られる動物の膵臓は人間の物だけだし、一人にたった一つしかない、生命の存続に関わる大切な臓器なのよ。もし、あなたにちょうだいって頼んだら、リボンをつけてプレゼントしてくれたとでもいうの?」


「はい、喜んで!」


「少しはものを考えて喋ってください! まったく、良い匂いのする女性にからっきし駄目なんだから、このけだものは!」


 相手が上司にも関わらず、あきれ果てたメイドが長い尻尾を踏んづける。


「キャイ~ンっ!」


「悪いけれど、私は血肉を喰らってでも生き延びて、果たさねばならない目的があるの。それは、お母様を探すことよ!」


 正面で繰り広げられるコントを無視して、ルセフィが語気を強め、気炎を上げる。


「えっ、お母さんはとっくに亡くなっているのでは?」


「あなたは確かにいろんなことに関心があり、知識も持っていて、とても素晴らしいと思うの、テレミン」


「ど、どうしたんですか、急に!?」


 麗しき令嬢からの唐突な褒め殺しに遭い、少年が動揺をあらわにする。


「でも、あまりにも素直すぎるという点が欠点ね。それじゃこれから世の中を渡ってなんかいけないわよ。物事の裏を読みなさい。なぜ男爵様が、あなたの父親に宝物庫の観賞を許したのか、わかっているの?」


「こ、これ、突然何を言い出すんだい、お嬢さん」


 今度は矛先を向けられたセイブルが、少年と同様狼狽える。


「男爵様は少し静かにしていてください。全ては私のお父様と男爵様の仕組んだ罠だったの。子爵とは名ばかりの貧乏貴族のエバミール家と、傭兵からの成り上がりだけど領地の運営と商才に長け、財産はうなるほどあるバルトレックス家が、婚姻関係を結んで一つになるためにね」


「……」


 再び沈黙が薪小屋の主となり、人々の間にかつてない緊張が走る。


「で、でも、婚姻関係っていっても、伯父さんの家には子供なんて……」


「だから裏を読みなさいと言ったでしょう、テレミン・バルトレックス。お父様は、自分は死病に侵され余命いくばくもないが、今のうちに、子爵家の女子相続人たる私と、男爵家の男子を婚約させ、事実上、両家を合併させることを男爵様に提案したのよ。男爵様からすれば、子爵の家名は喉から手が出るほど欲しかったし、お父様からすれば、自分の死後の私の幸福と資産の確保のため、知り合いの男爵家と姻戚となることは、ベストな選択だと思ったんでしょうね。つまり、両家の思惑は一致したってわけ。そして、あなたに白羽の矢が立った」


 一歳しか年齢の違わない少女が、まるで二回りも上の、酸いも甘いも知り尽くした老獪な熟女のように、少年を窘める。


「……僕に?」


「そう、子宝に恵まれない男爵様は、両家合併のためにも、優秀な甥のあなたを養子にしたかったけれど、それにはレルバック氏の存在が邪魔だった。将来たかりに来られても困りますからね。そこで、お父様に相談したところ、以前山荘の禁断の宝物庫のことを男爵様から聞いて知っていたので、宝の倉をお披露目し、その席にレルバック氏も呼んで、あの護符に興味を持たせるように勧めたの。もし作戦が成功して、哀れな獲物が護符を盗み出せば、彼を名実ともにバルトレックス家から追放して出入り禁止とし、途方に暮れるあなたをすんなり養子にすることが出来たでしょうからね。もっとも、ここまで酷い結果になるとは、誰も予想できなかったわけだけど……」


「伯父さん、今の話は本当なんですか!?」


 衝撃の告白によって怒りの炎に包まれ、怒髪天を衝くテレミンが、ルセフィが皆まで話終わるのを待たずに、ドスの利いた声で男爵を詰問する。


「……すまん、本当だ。だが、君のために良かれと思ってやったことなんだ。あんな放蕩者の弟に連れまわされていれば、せっかく賢い頭脳を持った君も、将来道を踏み外してとんでもないことになるだろうし、彼と引き離すのが一番だと考えたのだ」


「……」


 なんとか自分を抑え込んだらしき少年は押し黙っていたが、顔は下を向き、表情は影に隠れていた。


「それより、あなたがお母上を探されるというのはどういうことですかな?」


 ようやく度重なる尻尾の痛みから回復した人狼が、ランプの灯りに歯列を光らせながら問いかける。


「私のお母様が符学院出身者だってことは知っているわよね? 彼女は若くして優秀な成績で学院を卒業し、誰も作ることが出来なかった護符をいくつも生み出したそうよ。結婚後も護符造りを極めていったお母様は、凄まじい力を秘めた護符を何枚も制作しては、自分の病気を治す資金のために売りさばいていった。もっともどんな高価な薬も神の奇跡も無駄だったんだけれど、その結果、彼女の護符造りの能力を欲する悪しきやからに目を付けられ、何度も誘拐されそうになったんですって。また、逆に彼女が余所の手に渡るのを防ぐため、命を狙われたことも一度や二度ではなかった。


 家族に危害が及ぶのを恐れた彼女は、私を出産した数年後に、病気で死亡したことにして、名前を変え、何処にか姿をくらましたの。お父様も、泣く泣く彼女の言い分を受け入れ、私を男手で育てることにしました。もっともトラブルメーカー的体質のお母様は、表世界から姿を消すことは出来ず、偽名のまま様々な活躍をしたため、有名になっていったの。人々を悩ます銀色の悪龍を一人で退治したり、津波で流されそうになった村を救ったり、人間を喰らうマンティコアを征伐したり……」


「そ、それってつまり……!」


 ずっと俯いたままだったテレミンが、驚きのあまり顔を上げた。


「そう、私のお母様こそ、伝説の魔女ことビ・シフロールその人よ」

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