カルテ37 山荘と冬の護符と亡霊騎士 その13

「ど、どうしてそれを……!」


 青ざめたルセフィの顔に隠せぬほどの心中のざわめきが映える。


「ここをよく見りゃ一目瞭然ですよ〜。ほら、皆さんご覧あれ〜」


「どれどれ……」


 人々が狭い屋内で交互に観察したところ、子爵の右の鎖骨の上に、おできよりもやや大きな膨らみがあるのが確認できた。


「このできものがどうかしたというのかね?」


「恐らく右鎖骨上リンパ節転移……つまり、癌という病巣がそこにあるリンパ節っていう組織に移っている証拠ですよ。それもかなりの進行癌です」


 急におちゃらけ男の口調が変わり、周囲の空気まで一変する。


「癌……?」


 その場にいる、ルセフィ以外の館の住人全員が、首を傾げた。


「う〜ん、癌っていうのは説明がちょいと難しいですが、身体の中で無限に増殖するようになり、最終的に命を奪ってしまう悪性腫瘍ってやつですね。様々な臓器から発生する恐ろしい病気で、有名どころではおっぱいに出来る乳癌や、煙草好きに多い肺癌、酒飲みに多い肝癌なんかがありますね」


「あっ、そういえば、僕の母さんは、おっぱいに硬い痼りができて、やがて痩せ細って亡くなってしまったんですよ! どの薬師も司祭も治すことが出来ませんでしたが……」


 テレミンが、辛い記憶を蘇らせたためか、顔を曇らせつつ、項垂れる。


「まさにそれだと思います。ちなみに左の鎖骨上リンパ節が腫れた場合は胃癌の可能性が高く、右の場合は食道癌の疑いが強いとのことです。食道癌とは癌の中でも非常に厄介な部類でして、中高年男性に多く、酒、煙草、刺激物といった、男の大好きな御三家が発癌因子……要するに原因と言われます。


 喉から続く食道の周りはリンパ節が多く、しかも初期は症状が出にくいから、腫瘍が大きくなって物が飲み込みにくくなったと気づいたときには、既に全身に転移していて手遅れになっていることが多いんですよ。ちなみにリンパ節っていうのは、身体中を流れる血液から浸み出したリンパ液っていうのが血管に戻る途中に通過する場所でして、小さな豆粒みたいな形をしています」


「でも、子爵はお酒や煙草なんて一切……あっ!」


 テレミンはそこまで言って、亡くなった父親の言葉を思い出した。エバミール子爵が、以前はうわばみでスモーカーだったという噂を。


「そして、僕は今皆さんにお伝えした癌の知識をウィルソンさんにもお話ししたんですよ〜。彼は病気の奥さんの付き添いで受診されただけでしたけど、雑談中に、『以前自分の酒好きの父親が、喉の奥に何かできもののようなものが生じて、食事が摂れなくなり、急速に衰弱して亡くなりましたが、あれは何という病気だったのでしょうか?』って質問されたもので、サービスして答えてあげたんですよ〜」


「……ということは、子爵は自分が不治の病にかかったことを、とっくに知っていたのか!?」


 なんとか話の流れについていこうと真剣に聴講していた男爵が、驚きの声を上げる。


「確かにあのお方はいつも首元まで隠れるような服を着ておられ、決して首筋を晒されませんでした。あれは、このリンパセツとやらを見せたくなかったのかもしれませんね。あなたのような知識のある方には、一目で病気がばれてしまうでしょうから」


 薄暗がりの中で、獣の姿のダオニールが鋭く蒼い瞳を光らせる。


「多分そういうことでしょうね〜。だから、先が短いのを悟って自殺されたとしても、何の矛盾もないわけですよ〜」


「そんなのいい加減な想像よ! いくら残された時間がないからって、お父様はいつも私のことを一番に考えておられたわ! 自分勝手に人生を終えるような人じゃない!」


 ルセフィの度重なる絶叫も、飄々とした柳の枝のような医師にとっては、枯れ葉のざわめきほどの価値もなさそうだった。


「だーかーらー、あなたのためを思ってパパは自らお腹をぱっくりされたわけでしょ〜? 違いますか?」


「な、何を根拠にそんなことを!」


「では、順を追って解説しましょう。あなたのお母さんは、どんなご病気だったかご存知ですか?」


 途端にルセフィの声が一瞬詰まったが、すぐに勢いを取り戻した。


「知らないわよ! 私の生まれたしばらく後に亡くなったんだから!」


「はぁ、そうですか。では、教えてあげましょう。 本当は個人情報だから話しちゃダメなんですけど、こっちの世界にはそんな法律はなさそうですしね〜。ルナベル・エバミールさんは、食後に喉の渇きやだるさを訴えることが多く、ときには意識不明に陥ることもあったとのことです」


「……!」


 今度こそ、少女の顔つきが明らかに固まり、彼女の周辺だけ時が止まったかのように感じられた。

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